mixiユーザー(id:2281137)

2020年01月21日10:48

76 view

日々のmixi日記6

You tuberといふものが浸透中だ。

詳しい仕組みはわからんが、動画をあげて稼げるのださうな。
しかも、小遣い銭程度ではなく、もぅそれで生活ができるほどには稼げるといふ。

餓鬼に将来の夢を尋ねたところ、その統計の一位がこのYou tuberだったさうな。
仕事がない、とボヤいてゐたら「ユーチューバーになれば?」と問はれたこともある。
「なんだそれは?」と思ったが、知るにつけさもありなん。

TVや大手の介在なく、自身の表現として作成する動画で、生活できるほどの金が稼げるユーチューバー。そは餓鬼が憧れるのも無理はない。
その多くが、非常識で能天気な騒乱狼藉ものであるにしても、あれで私の年収の数倍を稼いでゐる、と聞けば、まぁ、そのビジネスも否定はできぬ。

かつて卑下されてゐた職業が、のちの時代には花形とされる、といふ事象は、数限りなくある。これもさうなのかもしれない。

と云って、云ふほど簡単なこととは思へない。
おそらく動画を作るものにしても、楽にあれを作ってゐる訳でもなささうだ。
それなりに身体も張り、叡智も使い、時には世を敵に回しながら、あれを製作して行くには、かなりの覚悟は要るに違いない。

片手間にできることとは思へない。

そはどの職業でも同じだらう。
そして、他の多くの職業と同じく、このユーチューバーも『いつまで出来るか』は分からんのだ。

モノは大きくなれば、好むと好まざるとに関わらず、自らの手を離れる。
多くのものが関わって来る。
関わるもの同士の利権が働き、そこには「差異」が生まれる。
それぞれが求むる利権が合致しないところでは、争いも生まれる。

そして気づけば、自分がやりたくなかったこと、をいつの間にかやってゐる自分に気づくのかもしれない。

「続けて行く」と云ふことの価値が、どんどん下がってゐる昨今。
飽きたら次、といふ事で世を渡る方が正しい、とされる現代において、飽きられるかもしれない自分、を思ふのは恐ろしからう。

何を書こうとしてゐたか忘れてしまったが、まぁ、彼らに幸多からんことを。

だがまぁ、そのせいで、暢気に楽しんでゐたYou Tubeといふものにイチイチ広告が入ってウザくなったのはその功罪として上げておきたい。



5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する