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2020年01月11日11:38

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無駄についてのmixi日記5

もともとCD(コンパクト・ディスク)は、「ベートーヴェンの交響曲第9番が1枚に収まる時間」を基準に収録可能時間が定められた、といふ。
それが74分〜80分、といふ長さ、なのださう。

昔はLPをいちいちひっくり返してゐたのか?と思ふと、確かに一曲が通して聴けるメリットは、CDに負う部分は多い。可聴周波数以外の音がカットされる、といふデメリットを差し引いても、作曲家にとっては嬉しい事だ。

現在、私が唾棄するニポンの流行歌=所謂J-POPといふモノは、無駄に長いものが多く、そのほとんどが無駄な展開や無駄なアレンジによる無駄な長さの追加であり、時間の無駄の象徴と考へて良いと思ふ。

流行歌は3分台で完結させるべきだ。
昭和歌謡を見よ。
ビートルズを見よ。
世界各国のロングセラー曲を見よ。
あの2〜3分に、「芸能」の全てが詰まってゐる。

良質で長尺な曲は存在する。
私が音楽に目覚めた70年代、ロックバンドのコンサート=ライヴは曲が長いのがフツーであった。が、その多くは、延々と続くギターやキィボードのソロであり、長〜いドラムソロであったりした。実際に曲が長いわけではない。
新時代の電化されたブルーズにも、長尺のギターソロがフィーチャーされた名作はある。
ジャズの名演もしかり。

それらは演奏者の魂のほとばしりであり、多分にエゴイスティックではあっても、無駄な部分はない。でなければオールマン・ブラザースのライヴ・アット・フィルモアイースト、におけるウィッピング・ポストがいまなを名盤として掲げられはせぬ、と思ふ。
まぁ、確かにウンザリするくらい長いソロだが・・・。

さういふのではなく、曲自体が長い、といふのもある。
多くはプログレ、と云はれるジャンルだ。

むか〜〜〜〜〜〜〜しむかし、FMで「夕べのひととき」といふ番組があり、毎回なにがしかのテーマを掲げた選曲で一曲一曲が流されてゐたが、ある日
『けふはプログレッシヴ・ロック特集です。曲が長いのでお喋りは最低限に。まづはこの曲から、キング・クリムゾン『スターレス』です」
と始まったことがあった。

スゴい。
DJがお喋りを省いてでも流す長尺曲。
この頃から私のプログレ好きが始まる。

そして時を経て「チューブラー・ベルズ」や「海洋地形学の物語」、はてはマグマの「Zess」に至るやうな、『オマエは何を考へておる?』と思ふやうな長い曲にも出会った。
かつては自分でも「砂の位相」といふ30分に及ぶ大曲も作った。

そして現在は、楽曲は短いほど良い、と思ってゐる。

・・・が、少なからず生きてきて、自分にもなにか目標といふものが要るのかな?と思ひ始めた。ひと世代若い仲間に「今年の目標は?」と問われて即答できぬ自分に老いを感じた。
で、だいぶ後になって『大作を作ってみやう』と思ふに至った。

ここに宣言す。
2020年の目標。

今の世の中、もはやたれも求めておらぬやうな、無駄に長い、無駄に大仰な、30分を超えるやうな 大作を作ろう。
楽譜を残し、ひっそりと音源にし、死んだ時に流してもらうのだ。

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