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2020年01月09日00:09

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「新・映像の世紀」まだ続きます

「映像の世紀プレミアム」は第15集をもって終わるのだと思っていた。始まった頃には「6集完結」とか銘打っていたのが、いつの間にか「9集完結」とかに延び、ついに15集まできた。宣伝はほとんどせず突然放映するのが常だが、このゲリラ的な放映は現政権のマスコミの思想統制意欲・NHK支配への抵抗としか思えない。1月3日放映作品はオリンピックイヤーなので前回オリンピックがテーマの「東京 夢と幻想の1964年」であった。さすがにこれが最後かと思っていたら、終り近く、画面下部に小さな字のテロップ「この番組は今年もやります」的な内容が流れた。我が家は同シリーズの大のファンなので、「おお、まだ続くぞ」と大喜びであった。

今回はオリンピックがテーマだが、切り口は今の政府やマスコミの大騒ぎとは異なるニュアンスだった。「夢と幻想」としているところにもそれは伺える。敗戦から19年の時期でもあり、考えさせられることが多かった。事前の都民へのアンケートでオリンピックに興味があると答えた人は2.2%にすぎなかったそうで、驚きだった。それに合わせて開業した新幹線の心臓部を開発したのは戦中、特攻機「桜花」開発を命ぜられた人であった。その時の苦渋を綴った文章が流れたがそれがいつ書かれたものかはわからない(私が見落としただけかもしれない)。それを筆頭に、首都改造は凄まじいものがあり、戦争に投入していた力をこちらに振り向けるとこのようになるのかと思わせられた。「東洋の魔女」が優勝した試合のTV視聴率は85%だったそうだ(我が家にはTVは来ていたと思うが見た記憶がない)。大松監督はインパール作戦の生き残りというのを初めて聞いた。また選手の数人は父親を戦争で失ったり両親を失った娘たちであった。敗戦後19年とはそういう時代だったのだ。厳しい練習は当時も批判されたらしいが、「命がけの困難の中で光明が見えるときがある」との監督の信念に選手たちもついていったのは父や恋人を慕う信頼感があったのことだったのだ。そのあたりの感覚は、戦争賛美や暴力容認に流れやすく微妙だが、戦争の影の濃い時代を逆照射するものでもあり、考えさせられた。

それと64オリンピックについての作家たちの文章がかなり紹介されたのも印象的だった。興味がなかった人が関心を強めたケースもあり、大会をみて戦争を思う人たちもあった。全体を通じて流れたのは開高健のルポふうな記事で、どれも着眼点の深さを示していた。文学者は常に時代の証人となる。今年はどうであろうか。無内容なナショナリズム、演出された華やかさに背を向ける文学者が多いような気がする。人々も椎名林檎には注目するが(私も楽しみだ)文章など読まないのではないか。嵐のNHK応援歌は申し訳ないが冴えない。ちなみに谷川俊太郎は、64年には協力しているが、今回は「理由は聞かないでくれ」的な言い方で一切関わっていないという(『詩人なんて呼ばれて』で読んだ記憶)。

開会式の一糸乱れぬ入場行進の動画はよく流れるが、初めて閉会式の入場場面を見た。当初は開会式と同じ段取りだったが、他国の選手が乱入し、今日のオリンピックと同じだらだら行進になってしまったという。これは個人的にとてもうれしい発見であった。私は今度の詩集に収録した「隊列のはなし」という詩に「オリンピックの入場式は近ごろ/だらだら歩くのでとても好きだ」と書いた。そして一糸乱れぬ東京オリンピックが嫌いだった。で、だらだら歩きはいつから始まったのだろう、と思っていた。しかし同じ大会の最終日にはもう「だらだら」だったのだと聞いて意外な気がした。そして日本のテレビはそれを映したがらないのだと思った。歩調を合わせるのが好きな国民に忖度しているのだ。
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