ワシはいわゆる「試験」のたぐいで「合格」したことのない人間である。
まぁ 失敗した高校受験もいちをう「滑り止め」には合格してそこに通ったのだし、車やバイクの免許も「合格」して持ってるのだから、全部が全部「落ちまくった」といふ訳でもないのだが、「ここゾ」といふ試験に合格したことがない。
いわゆる「結果を出せない」人間の典型であると云へる。
だから「何をやってもうまく行かない」人の気持ちがよく分かるし、さういふ人が責められてゐる姿を見るのはツラい。
頑張ってないからだ、と云はれれば、まぁその通りなのだらう。
要領が悪い、とも云へる。
自分がこれくらいやった、といふ事が他人と比べてどうなのか?がよく分からない。
いったい世間の人は、どのくらい「頑張って」ゐるのか?
「結果が出せる人」といふは、どれくらいの努力をしてゐるのか?
そはどういう「努力」なのか?
例えば、ワシはこの業界で生きやう、と決心した時、楽譜の読み書きを勉強した。
それまではト音記号すら書けなかった。
3ヶ月〜半年くらいで、なんとか読み書きの基本をマスターできた。
おそらく人生で一番「勉強した」のは、あの25歳の春だらう。
あの時ぐらい集中して勉強してゐたら、高校受験にも成功してゐたのかもしれない。
とは思った。
だが、高校受験の時の自分が、他の人と比べてどれだけサボってゐたか、を考へるとツラい。ワシはどんな努力をしなかったのだらうか?。
当時「彼も人なり、我もまた人なり(だから努力せよ)」といふ安易な格言が流行ったが、ワシには「彼と我は別なり」としか思へなんだ。
努力しても花開かぬ人はいっぱいゐる。
あぁ、さういや上述の譜読みの勉強の結果、インストラクターの試験には合格したな。
でも、実技はともかく、座学の結果がどうだったのか知りようがないので、なんで合格したのかは、今もって謎なのだ。
受けた時は完璧に「落ちた」と思ったのだ。
それどころか、「なんと場違いなことをやってしまったのか」との思ひにかられ、明日から人生をやり直そう、と思ってしばらく旅に出てゐた。
旅から帰ったら合格通知が来てゐて驚いたのを覚えてゐる。
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