先日の「こころの時代」で、ドリアン助川を取り上げていた。
この方、青少年の人生相談なんかしていたころから、危ない人だなと思っていたのだが、その後、何度かの深刻な挫折をして、責任の持てる顔になったようだ。
この番組の最後に、彼の言葉を朗読したのだが、この番組自体が、この言葉を言うために作ったように思える。
「月の光であたりは薄青く輝いており、木々もまた自ら気を発するように揺れ動いていました。
私はあの森の道で、本当にただ一人で月と向かい合っていたのです。
すると、私はたしかに聞いたような気がしたのです。
月が私に向かってそっとささやいてくれたように思えたのです。
お前に、見て欲しかったんだよ。
だから光っていたんだよ、って。
その時から、私にはあらゆるものが違って見えるようになりました。
私がいなければ、この満月はなかった。
木々もなかった。風もなかった。
私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうでしょう。
私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。
この世はただそれだけを望んでいた。」
仏教でいうなら唯識の世界なのだが、こうした言葉に救われる人もいるのだと思う。
そう言えば、こんな言葉を思い出した。
真砂なす 数なき星のその中に 我に向かいて 光る星あり
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