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2018年07月01日11:57

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「らしさ」なんかいらない

NHKをつけたらいつもは政党討論会の時間にサッカー関係者が討論していた。その中である人が、ポーランド戦の最終時間帯の日本チームのボール回しを「らしくない」と表現していた。では、あの状況が「らしい」チームというようなものがあるとでも言うのだろうか。大ブーイングの中でひたすらボールを自軍の中で回し(ポーランドも初の勝ち点ゲットを期して静かな共犯を演じた)、屈辱の時間を耐えるというようなことは、サッカー選手になった者なら誰もしたくはないであろう。次のステージに行くために賭けに出た監督の指示に従っただけである。イエローカードの数の差で決勝トーナメントに進出したことは結果として喜びたい。かっこよい死よりぶざまでも生き延びるほうを選んだ、それだけのことだ。

ところで私は「らしさ」とか「らしくない」という言葉が大嫌いである。詩の批評などで「○○さんらしい」などと言うのを見ていると、腹が立つのである。それは何も言っていないに等しい。というかそれ以下である。文学でも絵画でも創作者の特徴とかクセとかが出るのは当たり前で、消そうとしても出てしまうものだ。それが快く思える人にはそれがうれしいこともあるだろうが、しかしそれは外から見える特徴や見かけにすぎない。批評の対象とはなりえない。創造行為は習慣やマンネリといった表面だけの類似や繰り返しを最も嫌うのである。戦いもまた同様であろう。CMのキャッチコピーなどで「自分らしく生きる」みたいなのがもてはやされているが、これは「好き勝手に生きる」というニュアンスを言外に含み、一言でいえば「進歩なく今の自分を継続していく」ことへの寛容と引き換えに何かをお買い上げいただく戦略に過ぎない。しかし自分は何かとみずからを覗き込んだ人は、そこに何もない空洞をみて愕然とするに違いない。「自分らしく」というキャッチフレーズを快く感じる人は、自分を見ようとしたこともない人たちなのかもしれない。

ここで気付いたのだが、「あなたはあなたらしく」とは言うが「あなたは西郷隆盛らしく」(西郷でない人に向かって)とは言わない。その場合には「西郷隆盛のようになりなさい」のような表現になる。英語のlike 〜という場合、<〜に似た>は似てはいても別のものを指す。しかし日本語の「らしく」は現に自分がそうであるものへ再帰することしか念頭にない言葉であり、究極の現状維持志向の様式なのである。「男らしく」「女らしく」は絶対に反対側のものにはなれないという固定観念からの安心感で保守層に人気があるが、中身は相当前から崩壊しているのである。

まてまて。今日の議題はそこではない。

7月になりました。今月の詩は「不正報告」。
http://kamitelyric.web.fc2.com/month-poem-latest.html


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