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2018年04月30日08:37

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昭和の日mixi日記28

けふは「昭和の日」だ。
昔でいふ「天皇誕生日」か・・。

朝、新聞を取りに表に出ると、近所の工場からラヂヲ体操の音が聞こえてゐる。
さうか、かういふ工場は土日休んでも、祝日は営業するのだった。

ワシが組立工員として一時身を寄せてゐた車の工場も、祝日は出勤日であった。
何故かは知らんがさうだった。

朝の8時には始業ベルが鳴り、昼を含む3回の休憩を経て、17時に終業ベルが鳴る。
きっちりと「8 to 5」の世界だ。

いわゆる「流れ作業」=ライン仕事で、一度作業を覚えたら半分寝ながらでもできる。
ミスのないことだけ気をつけながら、目の前に流れてくる事象に然るべき措置を取ってやれば良い。
ぢつにワシ向きの仕事だった。

手先が器用だったので、作業の多いラインの先頭を担当させられ、ワシのスピードでラインのスピードが決められた、といふ。

まだ景気はよく、望めば残業はいくらでもあった。
2時間 残業しても19時だ。夏場などまだ日が高いうちに仕事が終わる。
その分のギャラはしっかり出る。その前まで、出口のないサーヴィス残業を強いられるのが当たり前の会社に属してゐたワシには、天国のやうな職場だった。

唯一の欠点は、先述した「祝日に出勤せねばならん」といふことだけ。
祝日の、会社に向かう電車に、いかにも今からピクニクに行くのよ的な女性の集団を見かけ、何度ついて行こうと思ったことか!。

あと、朝が早いのも当時のワシにはしんどかったな。
8時の始業に間に合うためには7時には家を出ねばならず、起床はいつも6時だった。
前の日がライヴで遅くなった日はホンマにキツかったが、まぁ若いからできたのだらう。

で、その工場に勤めてゐる時「昭和が終わった」。

サイレンが鳴り響き、黙祷が薦められ、翌日から3日ほど、会社は休みとなった。
祝日に出勤を要される会社がそこまでするか!?といふ気分だった。

仲間もたくさん出来、初めて職場の仲間と遊ぶ、といふ経験もし、「このままゐても良いな」と何度も思った工場だったが、こんなヌルい暮らしをしてゐては、俺はミュージシャンになる努力をしなくなるに違いない、と思ってやめた。

その後バブルが弾け、多くの社員がクビになった、と風の噂で聞いてゐる。

あの頃の職場仲間、ほぼ同い年くらいの U、M、K、O、Y、T・・・。
きゃつらが今どこで何をしてゐるのか、全く分からぬ。

それぞれの場所で、それぞれの幸せを生きてゐると良い、と心から思ふ。

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