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2018年04月24日18:57

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遠山信男さん逝去--犬っころの目

遠山信男さんが4月19日に亡くなったと今日聞いた。96歳。近親者で葬儀は済ませたという。

千葉詩人会議の会長も長くやっていただき、ご高齢なので退会されたあとも詩を書いてくれたり、よくカンパをしてくれていた。米寿のお祝いを本八幡の「四季よし」でやったのがお会いした最後だろうか。施設に入所してからは動静も分からないというのが実際のところであった。ご家族を通して連絡、というのは案外やりにくい。詩人が夫などというものは、世の埒外であり、友達の詩人から連絡など来ては迷惑なのだ。

詩は出自がモダニズム、というような人で、詩人会議になぜいるんだ、というようなところもあったが、城侑さんがあるとき誘って連れて来たのだ。東北訛りで宮沢賢治の長い詩を暗誦したりすると迫力があった。暗誦だけでなく、シャンソンなどもよく歌ったが東北訛りのフランス語であった。タップダンスが好きで、そのためにいつも折り畳み式の木の板を持ち歩いているほどだった。しかし奥さんは言ったそうだ。「あれはタップじゃありません。地団太です」。見た事のある人はその表現の正確さに思いいたるであろう。モダニズムふうの詩風とはかけ離れた、ややどんくさい歌や踊りの愛嬌が逆に人気者となった理由ではないか。詩人会議だけでなく詩檀の人たちにも親しまれていた。

千葉詩人会議の例会を7〜8人でしょぼしょぼやっていたら、突然遠山さんがダチを連れて来たというノリで嵯峨信之さんを連れて来たことがある。いろいろ話していたら、嵯峨さんがアントナン・アルトーの詩をフランス語で暗誦し始めた。好きな詩も、暗誦好きなところも似ているのであった(最近、彼の詩集『愛と死の数え唄』を読み返したが、とてもよかった)。遠山さんは精密工学系の熟練工であった。人の乗っていない電車に乗って職場に行き、誰もいない工場の中でひたすら詩を憶える。そうした独特で実践的な理論を持っていて評論集『暗誦について』で第27回壺井賞を受けた。戦中は通信兵で暗号解読が専門だった。ヒロシマへの原爆投下の通信も傍受したが、その中味を想像できなかったそうだ。暗誦好きというのは、乱数表とかに関係あるのだろうか。

いろいろ書いても意味はないのだろう。ただ、ひとつだけ言っておきたいことがある。遠山さんの目は動物の目のように美しかった。老人になってまであんなにきれいな目をした人を私の生涯で見たことがない。そんな目を見られただけで私は感謝しなければならないと思う。人と喧嘩もしない一方で、話がズレていると思うこともしょっちゅうだった。しかし、あまりの悪気のなさにみんながそのペースを許すというのか、巻き込まれてしまうのだろう。詩人が純粋で云々などという話はみんな言葉だけだと思うが、遠山さんだけはもしかしたら純粋で、その分どこかズレているのではないか、と思うことがあった。純粋というのは心がどこかはずれているのと引き換えにしか得られないものなのではないだろうか。だからあんなにきれいな目をしていたのだ。犬っころみたいに。ご冥福をお祈りする。

【追加と修正】
その後、より詳しく知っている人の話を聞いた。私の日記に書いた「20日」は誤りで、19日に亡くなったという。また、「老衰」というのも最初そのように聞いたのでそのまま書いたのだが、話によると直前までお元気だったそうだ(本文は修正)。施設のみんなにタップダンスを見せることになっていて、人が集まったところで倒れたという。原因までは聞いていないが心筋梗塞とか脳梗塞といった突然のものではないだろうか。ベッドに寝たきりで老衰というのではなく、ピンピンコロリだったわけだ。96歳だというのに最後までお調子乗りで、地団駄スタイルのタップを仲間たちに見せようとして亡くなったのだと思うと、悲しさの中にも、遠山さんらしさを感じる。

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