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2018年02月09日09:55

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青い空は青いままで

小森香子さんが2月1日の誕生日で米寿なので、昨日の『詩人会議』3月号読者会のあとささやかにお祝いをした。ご高齢ながら読者会にはまめに参加してくれる稀有な方でみんなに親しまれている。ケーキをもってきてくれることになっていた北島理恵子さんが体調を壊し、欠席との連絡が前日にあったので急きょ私がその役をすることになった。丸いバースデーケーキは注文しとかないと夕方にはなくなっているのでは?と思い、朝、地元の八千代台に買いにいき、それを夕方、大塚まで持参することにした。駅の雑踏などでぶつかられないよう慎重な歩行をしたのであった。こうしたことはつい女性任せにしがちな日常を思った。

米寿の本数の蝋燭は無理なので普通のを8本ですませたがそれでも小森さんが吹き消せないので、柴田三吉さんと私が加わり連合軍で達成。

1月の中ごろ、小森さんは「青い空は」の詩の作者としてベトナムに招かれて一週間ほど訪問した。同曲は1971年に核兵器廃絶のために新しい歌を募集した時に作られ(曲・大西進)、その楽譜と歌詞が『赤旗』で紹介された。これをハノイで見た同紙特派員がベトナムの詩人に教えると、その詩人がすぐにベトナム語に訳し、ベトナム人二人の歌手がデュエットで歌いハノイ放送から全土に流れた。北爆のすさまじい時代だったが、その歌は塹壕の中にも流れたという。日本での初演はその年の原水爆禁止広島大会だったので、ベトナムでの演奏の方が早かったと今回初めて知った。

ベトナム訪問の話はどこかで書かれると思うが、短いお土産話をとお願いしていたので写真のアルバムなども交えてお話をしてくれた。日本から行った合唱団とベトナムの合唱団が共演して双方ともが自国と相手の言語で歌ったという。ベトちゃんドクちゃんのうちのドクさんとも会ったと言っていた。塹壕にも行ったそうで米寿の詩人には過酷なスケジュールだったらしいが、行けてよかったとおっしゃっていた。ただ同国の都市部の空は中国のPM2・5問題と同様の状態だという。「青い空は青いままで」というのはいろいろな意味で難しいのだ。詩は時に単純な言い方が求められ、それが言葉に命を与えることがある。この詩と歌はそのことを思い出させてくれる。




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