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2017年03月13日10:38

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週のはじめmixi日記21

「家訓」であった、と云ふほどではないが、ワシの生家では

『自分で食べたい者は自分で作るべし』

といふ習わしがあった。
幼少期から「あれが食べたい」といふとオフクロが簡単な作り方を教えてくれ、上手くできるやになるまで監修してくれた。

親父も自分が食べたい酒の肴を自分が拵えてゐた。
ワシが早いうちから厨房に立つ事を、なんとも思はず、その後も料理を趣味にするやうになるのも、こんな下地があったからだらう、と思ふ。

その親父が作る酒の肴に「ズリ」があった。

ズリ、砂肝、スナズリ、色々な名で呼ばれてゐるが、正式な呼称は「砂嚢」といふ。

焼き鳥の具としても著名な部位ではあるが、ウチの親父はこれを細く切ったものをフライパンで炒め、しをとこせうを軽く振ったシムプルなものをつまみながら、毎晩二合の酒を嗜んでゐた。

壱回の調理で深めの鉢に一杯、くらいの量を作り、それを2〜3日かけて食べてゐた。
今にして思ふに、冷蔵庫に入れるでもなく、ラップをかけるでもなく、鉢に盛ったものを無造作に食卓においたまま、3日くらいは放ってあったが、アタりはせなんだのだらうか?。

ワシはまだ幼かったが、親父の酒の肴が好きで、親父もそれを喜び、少量分けてくれてゐた。だから「ズリ」や「豚耳(ミミガー)」「豚足」などを好む、変な少年に育った。


50を過ぎてから、晩飯に米を喰ふのをやめ、いわゆる「晩酌」で済ませるやうになった。

ので、メニューはおのづと「居酒屋メニュー」となり、この「ズリ」が食卓を飾る事が増えた。あの時の親父と同じやうに、しをとこせうで炒め、コリコリと食しながら酒を呑む。

毎晩、律儀に二合しか飲まなかった親父に比ぶれば、今のワシは飲む量が多いなぁ、とは思ふ。まぁ親父はカタギだったのだから、そは仕方ないか。

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