数ある世の中の「無駄な事象」のなかで、もっとも無益で無駄で、生産性も将来性もなく、もぅ一刻も早くこの世から消滅してほしい事象は「道路の渋滞」であると思ふ。
夜間早朝には30分もかからず行ける場所に、2時間を要する、といふ事が、まったく意味不明で無駄だ。
渋滞を解消する為に、といふ事でボンボン新しい道路が造られてゐるが、それでも渋滞は無くならぬ。場所を変え、時を変えて、発生する。
もぅ数十年に渡り「渋滞の名所」と呼ばれる場所まである。
全くもって意味不明。
無駄の極地。
こはいつの時代に始まったのだらうか?。
車がなければ渋滞は起こらぬか、と云へばさうでもないやうで、産業革命以前の街の写真を見ても、ヒトや馬車やなんかがひしめき合ってゐる。
インドや中国内陸部、メキシコなどの、いわゆる田舎に行く機会があったが、あぁ云ふ場所でも、やはり渋滞はあった。
思ふに渋滞とは、ヒトの営みには必ず着いてくるものなのではないか、と。
文明が発達すれば、渋滞は無くなる、と説いた人もゐたやうではあるが、違う。
渋滞が無くなった時、そは文明も無くなった時なのだ。
にしても無駄だ。
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