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2016年09月12日17:35

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酒折宮

日本武尊東征の帰りに、
「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
と片歌で問いかけたところ、御火焚の翁が
「かかなべて夜には九夜日には十日を」
と片歌で答えたという場所ですね。
酒折宮は「連歌発祥の地」と言われて、碑が建っています。
こちらの宮の由緒書によると、日本武尊が酒折宮を発つときに
「吾行末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし」
と言われ、自身の身を救った「火打嚢(ひうちぶくろ)」を塩海足尼(しおのみのすくね)に授けて、その「火打嚢」を御神体としてお祀りしたのが、この宮であるという事です。

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有名な神社なんですが、社殿は簡素でした。
一の鳥居の先の参道に踏切があるのにはビックリです。

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本居宣長の寿碑。
神主であった飯田正房が、先輩門人であった萩原元克(塩山)を通じて本居宣長に顕彰碑の執筆を願い出たところ、快諾して執筆してくれたが、40年以上碑を建てる事が出来なかった。
その後、正房の子、正広がその遺志を継いで氏子と計って建立するのだが、執筆を平田篤胤に願ったようで、子の鉄胤が由来を書いているようだ。

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明和事件で処刑された山形大弐は、武田信玄に仕えた山県昌景の子孫であるとされていることもあって、地元では敬愛されている人のようだ。
祀られた神社もある。

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