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2016年08月08日17:35

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象はなぜ死なねばならなかったのか

昨日は詩人会議の恒例の平和集会があり上野の東京文化会館に出かけた。
たいていの年はそこそこ高齢の方の講演があるが、今年は25歳の是恒香琳(SEALDsにも参加)さんが講演。体験も含めて非常に面白かった。

その中でなぜ戦中、象が殺されたのかについて語られた。私は空襲によって動物園から動物が逃げ放出されることで生じる危険への対処だと聞いていた。象は毒を嗅ぎ分けて食べず、また物理的に死なすことは難しいので餓死させた。芸をすれば食べ物をくれると思って空腹で力のないのに必死に芸をしたとも。秋山清にも有名な詩がある。「象のはなし」

http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20101111/1289459524

だが、彼女は絵本『そしてトンキーもしんだ』(たなべまもる 文・かじあゆた絵、国土社1982)をみて、そうではなかったことを知ったという。私はその本を自分で読んでいないので、講演者の語ったことを要約すると、こうだ。

象は空襲によって檻から出てしまう懸念はなかった。その面では充分に市民の安全は保つことが可能であった。象が死なねばならなかったのは、国民が戦争に駆り出され、父が、夫が、兄弟が戦死するという時代に、同じく愛された象も死なねばならないことを示すためだったという。これも米英が悪いからだ、象を愛する子どもたち、その悲しみを敵国への憎しみに転換せよ、と。罪のない人や動物を死に追いやることで「戦時」「非常事態」の意識は醸成されていったのだ。軍部の指令であったのか、「お国のため」という国防市民団体の高揚による自発的な行為であったのか詳細はわからないが(調べたら「東京都長官大達茂夫氏の独断」とのこと。下にリンクを貼っておく)、死が当たり前の時代だからこそ生じた、陰惨な生命の奉献、屈折した復讐心、贅沢への敵愾心のようなものか。プラスを求めるのではなくどんどんマイナス志向が進み、互いに非国民を探しては密告する心理が働くような時代。ただ食べているだけの動物たちは殺してしまえ。動物を可愛がるなどは贅沢だ(家族を愛することさえゼイタクなのに)という雰囲気が時代を覆っていたのだろう。

戦後生まれの私は、その時代の人々の心の動きを想像できず、檻から逃げた動物たちは事前に殺すしかなかった、と納得していたが、実はそうではなかったことを当時の飼育係たちは知っていた。同じ時代を生きた人たちでさえ多くは誤って記憶している。体験とはその時代に居たというだけではない、という彼女の指摘は鋭いものがあった。苦難に遭遇した時、その時代の心に宿った闇は苦難が終わった時、忘れ去られるのだろう。残るのは人気者の象のイメージだけだ。先日、ハナコが死んだ。私もハナコが日本に来た時のことを覚えている。ヘンに明るくわくわくしていたのを思い出す。戦後の光の時代だったのだ。その死の報道によって彼女がまだ生きていたことに気付いたのだった。

この話に関連して、トンキーは「慰霊祭」の時にまだ生きていた。その慰霊祭のためにも殺さなくてはならなかった、という驚くべき事実も書かれているページがあった。命令者も名指されている。以下参照。
http://blogs.yahoo.co.jp/erimasarama0118/59741761.html

もうひとつ、象で思い出す話。アメリカへはアフリカその他の地域から象がつれてこられたが、動物園で暴れた象によって飼育係が死んだ時、民衆はその象の絞首刑を決定した。大きなクレーンで刑は執行された(かなり昔の記録)。勝手に捕獲して別の大陸に連れてきて、気に入らなければ人間同士のやりかたを適用して殺す。それが人間である。私はそれ以前に、ペットを除いて、危険な動物が皆無の空間を作り出している人間の絶大な権力について考える。だが、子どもたちには本物を身近に見せてやりたいのだ。そしてそれを動物への「愛」だとか言っているのである。子どもをそこに投げ込んだら殺されるかもしれないのに。処刑を前提とした「愛」とは何だろうか。そういう私も子どもたちを動物園に連れて行ったので、これ以上、エラそうなことは言えないが。
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