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2016年04月16日20:45

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こころの時代「禅の語録を読む」 その1

こころの時代「禅の語録を読む」
駒沢大学教授 小川隆 
聞き手 金光寿郎

難解と思われてきた禅の問答が、実は具体的背景を持って述べられていることがわかってきた。
唐代の問答は、全く不条理ではない。

小川隆が高校生の頃、岩波文庫の「臨済録」を買って読んだ。
当時は円覚寺の朝比奈宗源訳注の本で、現代語訳は魂をわしづかみにされるような迫力があったが、漢文・書き下し文は意味がわからなかった。
それは自分の漢文を読む力がないからだろうと思っていたが、駒澤大学に入って仏教を学ぶと、禅の語録に使われている漢文は特殊なもので、他の文のように読めないという事を知った。

※宋代の文はそれ以前の文と違っているということ、例えば『朱子語類』などは平安時代までに日本に伝わった古典的な漢文とは用字が異なること、わたしも後に知った。
 『広韻』の成立は北宋で、その前の韻については王仁昫『刊謬補欠切韻』が出るまでは「説」に過ぎなかったということなのか?
 韻では、入声の消滅もあったようだが、その辺はまだ詳しく見ていない。
 用字では、例えば「欠少」で「欠ける」という意味になるようなこと、現代語では使っても、古典では使わないのではないか?というようなこと。
 思えば『正法眼蔵』に引用する漢籍の読みが「なんで?」としばしば思わせていたのもこれ。
 わたしも高校時代に読んだ『臨済録』は、現代語訳だけで満足していたのだ。
 なぜこうなったかというと、禅の問答はもともと話し言葉を記録したものなので、文語と口語の違いが出来ていたという事。
 唐でも韓愈などは言文一致的なことをしていたように聞いていたが、禅の語録はそれをもうやっていたという事だ。

禅の語録は漢文ではなく中国語から入って行かないと読めない。
そのころそういうことをやっている入矢義高という人がいることを知った。
そして、入矢先生のグループに入って勉強した。

その頃、禅の語録をいろいろ読んだが、わけがわからなかった。
そして、理屈でわかろうとしてはいけないと書いてあるのが通り相場だった。
しかし、入矢先生の書かれたものは違っていた。
当時の口語の語彙と用法を踏まえて、みずみずしく、わかりやすく訳されていた。
それで、禅の語録とはこういうものなんだ。こういう風に読めなければ、禅の語録など読んでもしょうがないと思えた。
中国留学などを経て、駒澤大学の講師となり、京都の禅文化研究所でやっていた『景徳伝灯録』の訳注を作る会に参加して入矢先生と一緒に勉強することになった。
やり方は、最初にレポーターがたたき台を作って入矢先生に提出し、それに先生が朱を入れてメンバーに送り、各自が研究した上で集まって討論するというやりかた。
しかし、入矢先生の記憶がすごくて、いろいろな本に使われている用例をかなり正確に記憶しており、それにリードされて進んで行った。
そしてそのあとも、語録を読んでいくことになる。

禅宗は、唐時代に起こった。
これは中国仏教史の上では、最後の方で起こったという事だ。
そして、禅宗について辞書を引くと、「座禅をして悟りを目指す宗教」だと書いてある。
しかし、座禅は禅宗だけがしているわけではない。
仏教の宗派なら、座禅して瞑想するのはどこでもやっていて、そもそも宗祖のお釈迦様から始まって、初期仏教からこの方、ず〜っとやっていることだ。
お釈迦様は座禅して悟りを開かれたのだから、仏教から座禅が生まれたのではなく座禅から仏教が生まれたのだ。
これは、例えば、日本人とはどういう民族かと聞かれて、「三度三度ご飯を食べる」と答えているようなもので、間違ってはいないが、それで特質を説明したとは言えない。
特徴というものは、他に無くてこちらにあるものを言うのでなければ意味がない。
では、他にあまりなくて禅宗にはあるものは何かというと、他にもないわけではないが、突出して出てくるのは問答だと思う。

高僧の伝記や語録を見ると、座禅や作務だけして悟ったものはおらず、問答によって激発の契機を得て悟ったものばかりだ。
ただし、禅の問答というものは、知識の正しさとか量とか、正解がわかっているかとかを問われるものではない。
そこで誤解が生じて、質問と回答が異なるトンチンカンな、或いは、当事者同士しかわからないやり取りを「禅問答のような」と言うようになっている。
しかしここに、禅宗の本質があるのだろう。

馬祖道一(709-788)の語録に、弟子が「如何是西来意(如何なるかこれ西来意)?」と問うた。
馬祖は「即今是什麽意(即今はこれなんの意ぞ)?」と答えた。
質問は「禅の根本を教えていただきたい」であり、
答は「ただ今、この場のことはどういう意味か」
ということ。
これは、疑問文に疑問文で応じているので、対話が成り立っていないように見えるが、そうではない。
例えば「あなたは阪神タイガースが好きですか?」と聞いた時、「ぼくがどこの出身だと思っているの?」と答えたら、会話が成り立つだろう。
これは、聞かれた人が大阪の出身だという事を、聞いた人が知っているから成り立つ会話だ。
理屈から言えば、大阪人だって巨人ファンもいれば他のチームのファンもいるだろう。
しかし、大阪出身だから阪神ファンであるという答を、聞いた人に質問することによって導き出し、生き生きとした会話を成立させている。
馬祖は説法の最初にこう言っていた。
「何故(宗祖の)達磨が西からはるばるやって来たかというと、あなた自身の心が仏だ。めいめいが仏だ、という一事を伝えんがためにやって来たのだ」
つまり答えはもうわかっていることなのだ。
はるか昔の達磨のことではない、自分の心の事なのだ。自分の心を直視しろということなのだ。
そして馬祖は、それを教えるのではなく、質問者自らの中から引きだそうとして反問している。

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