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2016年04月13日14:11

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「100分de名著」司馬遼太郎スペシャル

Eテレの「100分de名著」司馬遼太郎スペシャル見てました。
結論部分ですが、司馬は昭和史を書きたかったけど書けなかった。
理由は戦争体験にあるという話、納得です。

この番組では触れていなかったが、戦時中、戦車兵になった司馬が、本土決戦が近づいた時上官に
「もし、命令で戦車を移動させなければならないとき、避難民(日本の民間人)が押し寄せて来ていたら、どうしたらいいか」
と尋ねたことがあった。
上官の答えは
「踏み潰して進め」
だった。
これで司馬は、内心かなり激高したようだ。
しかし、この上官の答えは当時の日本では間違っていなかった。
日本軍が守るべきは、日本の国土でも日本人でもなく天皇だったからだ。
天皇を守るために国土も臣民も存在していると考えられていたのだから。
昭和を書けば、理性的でいられなくなると、司馬は思ったのだろう。

明治国家が崩壊して無謀な太平洋戦争に進んだのは、ナショナリズムの暴走があったからだという。
司馬は、ナショナリズムとパトリオティズムは違うという。
家自慢を例にして説明していた。

名家に生まれた人が、自分は良い家に生まれたと誇りに思っていたとする。
ナショナリズムの場合、その人は自分の家が可愛いだけなので、家柄を自慢し、他の家をバカにして、見下す。
パトリオティズム(愛国主義)の場合は、自分はたまたま名家に生まれて周囲から尊敬されているだけなのだから、もっといい家にしようと努力する。
これを国家レベルでやったのが昭和の日本だというのだ。

転機は日露戦争の勝利だったという。
日露戦争は、実は勝ったのではなく分の良い引き分けで、日本にはもう戦争を継続するだけの資力がなかったのに、米大統領のウィルソンが仲介してくれて領土と利権を手に入れた。
しかし、勝利と書き立てたマスコミに煽動された群衆が、賠償金を取れなかった政府を非難して日比谷焼打ち事件という暴動を起こした。
そうして芽生えた政府不信が、ナショナリズムが暴走して行く根にあるという。

磯田道史
「(司馬が言いたかったことは)日本人は何を大事に生きるのかを見失うことがあるから、そこをしっかり見つめてくださいということじゃないですかね。
だって、軍人にしたって日本を悪くしようと思ってしたことじゃない、良くしようと思っているうちに、日本を守るための軍隊が、日本を破滅に追いやってしまったんだから」

司馬の「二十一世紀に生きる君たちへ」を、番組は長文に渡って引用している。

私が持っていなくて
君たちだけが持っている
大きなものがある
未来というものである
二十一世紀を
たっぷり見ることができるばかりか
そのかがやかしいにない手でもある
君たちは
いつの時代でもそうであったように
自己を確立せねばならない
自分に厳しく 相手にはやさしく
という自己を
自己といっても
自己中心におちいってはならない
人間は社会を作って生きている
社会とは
支え合う仕組みということである
助け合うという気持ちや
行動のもとのもとは
いたわりという感情である
他人の痛みを感じることとい言ってもいい
やさしさと言いかえてもいい
この根っこの感情が
自己の中でしっかり根づいていけば
他民族へのいたわりという気持ちも
わき出てくる
君たちさえ
そういう自己をつくっていけば
二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない

もう一度くり返そう
さきに私は自己を確立せよと言った
自分に厳しく
相手にはやさしくとも言った
それらを訓練することで
自己が確立されていくのである
そして“たのもしい君たち”に
なっていくのである
私は君たちの心の中の
最も美しいものを見続けながら
以上のことを書いた
書き終わって君たちの未来が
真夏の太陽のように
かがやいているように感じた

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