某人が歌手であるにもかかわらず、がんの治療のために声を失った、といふ話題がある。
同じ境遇に陥り、治療(延命)より現場の続行を選んだ人もゐる。
がんに効く、とされる民間療法も多々あり、それで快癒した人の話しも聞いてゐる。
よぅは「がんになった自分」をいかに受け止め、対処するか、だと思ふ。
3年前の春、父親ががんで逝った。
同世代のだれより元気で、だれより若ぶりな爺だった。
親父は最終的に緩和ケアセンターで逝去したが、その前に某総合病院で一定期間かなりおざなりな治療を受け、だいぶ気力体力を消耗してゐた。
だがケアセンターの設備や待遇にはいたく満足し、そこそこ朗らかな態度を見せ、元気のあるうちに家に帰ることを願ってもゐた。
だが、ある日、主治医(たいへん良い先生だった)に現状の説明を受け、その内容がほとんど理解できなかった夜がある。
その日を境に親父の様態は急変し、火種が燃え尽きるやうに逝ってしまった。
思ふに、あの時・・・医師の説明を理解できなかった自分に気付いた時・・・ 親父は本格的に、「生きる気力」を失ったのではないか、と。
米寿まであと2年で発癌、といふ状況で「生きる気力」もへったくれもないやうな気もするが、余命宣告、といふもののシビアさを知った日々であった。
個人的な見解を云はせてもらふなら、某人は、すでに歌手以外の事業家として成功してゐて、まだ生きて仕事がしたかったのだらう、といふのと、
まぁ そもそもそこまで「唄うこと」が好きでもなかったのではないか、と。
もぅじき三回忌である。
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