mixiユーザー(id:7656020)

2014年01月19日16:55

42 view

飯森範親/山形響のシューマン交響曲全集

 20世紀には存在しなかった日本人によるシューマンの交響曲全集録音も、2006年が没後150年に当たっていたおかげで今世紀に入って准・メルクル/N響、湯浅/大阪センチュリー、マーラー編曲版によるスダーン/東響の3種が次々と登場して、それぞれに通常編成・小編成、4曲の全てにマーラー版を使用と独自性のあるアプローチを聴かせてくれています。そこへ新たに登場した飯森/山形響の全集はこれら4つの交響曲の作曲時期が管楽器の発展期だったことに注目し「1番」「4番」(1841年初稿)「2番」の3曲を旧式の管楽器で、「3番」をバルブ付きの新式の楽器で演奏した全集を登場させました。なお、このコンビには新式の楽器で演奏した「4番」の1851年改訂の現行版がすでに出ていますので、それを加えると世界的にも例を見ない5曲からなるチクルスとなります。ちなみに最初に録音された「4番」の現行版は記念イヤーの2006年に収録されていて、その翌年に新型の楽器による「3番」(1850年作)が続き、旧式の楽器をオケが習得した2008年に「2番」(1846年作)を、そして最初期の作である「1番」と「4番」の初稿(いずれも1841年の作)を2011年に収録して全集を完成させています。オケにとって馴染みの深い現代的な楽器と奏法による後期の作からより異質な要素が増える初期作品へと周到に準備を進めた様子が録音時期からもうかがえます(ちなみに最後の2曲が録音された2ヵ月後にあの東日本大震災が起きたのでした)

 飯森のシューマンを聴いてまず気づくのは短めにとられた音価で、機動性の高いきっぱりした進行とあいまって細かい音がめまぐるしく駆け巡るような印象をもたらしています。これを聞いて初めて実感できたのが「シューマンのオーケストレーションはピアノから発想されている」というよく耳にする指摘で、たしかにこのチクルスでは、作曲時期を追うに従ってシューマンのオーケストレーションが楽器の変化を1つの契機としつつ変貌していく姿が如実に見て取れます。特に10年の歳月を間に挟む「4番」の2つの稿を聴き比べれば、初稿は改訂稿より歴然と音の動きが細かく、たしかにピアノ曲における音の動きを彷彿とさせます。そしてそれは、後の後期ロマン派に繋がる旋律線の長大さという要素とは異なる地平がこの曲の出自であったことを否応なく印象づけます。考えてみればいくらオーケストレーションに不慣れといえど、指揮活動もしたほどの人が当時の楽器に疎いなどということがあるはずもなく、後の楽器に比べ安定した大きな音を出すのが難しい旧式の楽器の特質をロマン派初期までの作曲家たちは所与のものとして織り込んでいたはずで、その楽器では演奏できなかったりしづらかったりする音楽をあえて書くわけもなかったのではないか。そう思えば2003年の時点でまるで往年の巨匠たちのように重厚な「4番」をものした飯守泰次郎/東京シティフィルはともかくとしても、編成の大小の差こそあれ准・メルクルも湯浅もさほど従来からの解釈から踏み出してはいない中で、ここまで大胆に作品のイメージを一新した飯森範親と山形響にはその大胆さだけでなく、結果としてこの4曲から浮かび上がった香り立つような音彩美に対しても絶大な拍手を送りたいと思います。

9 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年01月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031