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2021年12月08日17:49

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「松本清張の新興宗教観ー邪教と反逆と天皇制」綾目広治(あやめひろはる ノートルダム聖心女子大教授)

これは、週刊新潮に連載された『隠花平原』(1967年1月〜1968年3月)オール読物の『密宗律仙教』(1970年2月)、『昭和史発掘』所収の「天理研究会事件」(1965年10月〜11月)、文芸春秋に連載されて未完のまま絶筆になった『神々の乱心』(1990年3月〜1992年5月)を中心にした作者、松本清張の新興宗教観を論じたもの。
松本清張の構想に対する期待を込めた評論だが、新興宗教に関する概観が伺えて面白い。
気になった点のメモ。

「私たちはその教えを低俗なものとして嗤うことはできないであろう。既成の宗教には無い力強さや、生活における具体的な実効性というものを、民衆は新興宗教から感じ取り、〈貧・争・病〉からの解放と疎外からの解放を求めてその教えに縋りついたのである」
「その教義内容の如何に関わらず、民衆が新興宗教に求めてきたものは「〈霊=術〉系の宗教」は別としても、やはり現世での人生や生活の辛さからの救済であったと言える。新興宗教教団を組織するオルガナイザー側にどのような思惑があったとしても、その受け手すなわちユーザー側の民衆にとっては、新興宗教への入信には深刻な動機があったのである」

確かにこうした観点に配慮する必要はあるのだろうと思う。
たとえそれが上層部の金と欲のために作られたもので、詐欺にあっているようなものだとしても、信じる側にとっては「溺れる者の藁」なのだ。

天理研究会(ほんみち)について。

「戦前の天皇制下にあって真っ向から天皇制に歯向かい、且つ昭和13年から20年まで獄中にあっても非転向を貫いた「甘露台」大西愛治郎と幹部たちのあり方に、おそらく清張は驚き、さらには敬意さえ持ったのではないかと思われる」
「昭和13年以降の「予防拘禁所時代、他の宗教家が続々と転向して戦争協力者になってゆくなかで、天理本道の被告だけは絶対に転向せず、まったく特異な存在だった」」
「大西愛治郎という人物は、他人をほめこそすれ、決して悪口や陰口をいわない人物だったが、それが堂々と天皇は不徳なりと宣言したのである」
「一般に不敬事件の取調べや公判では被告は口を閉ざすが、「天理研究会事件では、止まるところを知らない被告たちの発言ぞのものが、次から次へと不敬罪の新証拠をつくり出すという、従来の常識ではとうてい考えられない情景が現出した」」
「ほとんど全ての新興宗教は、「天理研究会」のように天皇制を批判することはなく、むしろ逆に近代天皇制に従順であった。例外はこの「天理研究会」と大本教だけであったと言える」
「たしかに大本教は過酷な弾圧を受けたが、大本教をモデルにして書かれた高橋和巳『邪宗門』(「朝日ジャーナル、1965・1〜1966・5)の「ひのもと救霊会」のように、戦後の米軍占領下で世直しを叫んで武装蜂起するような教団では決してなかった」

私が天理研究会に興味を持ったのも、この非転向と天皇制否定という信念と教義故なのだが、大本教は、確かに過酷な弾圧を受けたが、秋山好古のような軍人まで入信するような国家主義的要素を持っていた。
実像は、『邪宗門』とはだいぶ違うのだ。
『邪宗門』での蜂起や憤死は、新左翼が勃興してきた時代の、高橋和巳の希望であったのだろう。
これは、真崎守の『共犯幻想』にも通じる。
ちなみに高橋和巳が癌になって医者が見放しても、天理教信者だった母は、「悪しきを払うて助けたまへ てんりん王の みこと」と横たわる和巳の上で祈っていたそうだ。
高橋和巳も、庶民信仰に帰一して亡くなったのかと思うと、信仰に至る人間の弱さが愛おしくなる。

チョッと引用が長くなるが、天皇制に関わる部分を写しておく。

高木宏夫が『日本の新興宗教』(岩波新書、1959・11)で「天皇制はそれ自身が権力をもった新興宗教であった」と述べているように、近代天皇制の〈現人神〉信仰は新興宗教の〈生き神〉信仰と同質のものであるし、さらにその生成の時期も幕末・明治以降という点で共通しているのである。また先に言及した『新興宗教の系譜ー天皇制の落とし子』で佐木秋夫は、新興宗教の「幹部や教師は、生き神をまつりあげることによって、自分たちの立場を高めようとする。これは(略)天皇制そのものである」と指摘している。たしかに幹部たちが教祖を「まつりあげる」ことで教団組織を維持しようとすることと、戦前の支配層が天皇を〈神聖不可侵〉なものとすることで自分たちの支配体制を強固に維持しようとしたこととの間には、相通じるものがあるだろう。『象徴の設計』(「文藝」、1962・3〜1963・6)はその問題を扱った小説と言え、そこで松本清張は山県有朋らが如何にして近代天皇制を作為し創出していったかを語っている。それは教祖を盛り立てようとする、新興宗教の幹部と同様の働きである。
つまり、新興宗教と近代天皇制は、ほとんど同質と言っていいほど、共通するものがあるのである。同質であるからこそ、両者の間で原理的な対立が生まれる可能性もあり、近代天皇制とその治安機関が新興宗教の動向に敏感であったのも、その可能性を危惧していたからである。」
「他方で多くの新興宗教が容易(たやす)く天皇制に馴致されていったのも、同質であったからだということである。つまり、新興宗教における幹部を含めて信者たちの言わば心性は、天皇制に馴染みやすいものだったのである。〈生き神〉信仰を受け入れる心性などが、とくにそうである」

「こうして見てくると松本清張は、新興宗教を単に淫祀邪教といて切り捨てるのではなく、新興宗教を考えていくことを通して、近代日本の根本問題とも謎とも言える天皇制の秘密に迫ることができるのではないかと考えていたのではないだろうか。その試みの一端が未完に終わった『神々の乱心』だったと思われる。仲正昌樹は『松本清張の現実(リアル)と虚構(フィクション)』(ビジネス社、2006・2)で『神々の乱心』について、「清張の国家幻想論の集大成とも言うべき壮大なスケールの作品となるがずだったのではないか」と述べているが、たしかにそう言えるだろう。しかし、それは「集大成」ではなく「集大成」の一端と言うべきかも知れない。想像するに、松本清張には、古代史における天皇制の問題と近代天皇制の問題とを統合するような、さらに壮大なスケールの作品を、構想しようとする思いもあったのではないだろうか。もちろん新興宗教の問題もそこに絡められていたであろう」

本当にそんな構想があったかどうかは別にして、なかなか面白く読んだ評論だった。
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