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2013年02月12日19:33

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茨城の神社日記

2月9日に帰省し、茨城の神社に寄ってきました。

先ず、守谷市大柏の安産:馬頭観音堂。

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ここに、「剣豪桃井直誠墓碑」というのがあるのですが、この人物がわからない。
江戸三大道場の一つ、士学館(鏡新明智流)を開いた初代 桃井春蔵は名を桃井直由と言い、2代目は桃井直一であるので、その関係の人物ではないかと思うが、不明。
一伝流系統でも、似たような名前の人、いたような… (ーー;)
馬頭観音は、道祖神と共に茨城県南部では女性が信仰していたようです。
婦人病や安産・子宝祈願など、女性の願いを何でも叶えてくれる神様になっているのは、貧しい農家の女性が神社を建てることも寄進することも、時には参拝することも制限されていたから、こうしたもので代替していたように感じます。

続いて守谷市野木崎の二十三夜尊堂。

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月齢二十三日の日を忌み篭りの日として、講を作った人々が集まり月の出を待って月を拝むという信仰の本尊をお祭りしたお堂。
神道では月読尊、仏教では勢至菩薩を祀ったものが多いようです。
石碑や石仏はよくみられるのですが、御堂があるのは珍しいかも。
この巨大な榎は守谷市の天然記念物。

守谷市大木 六十六社大神。

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仰々しい名前ですが、『茨城県神社誌』によると、応永4年(1397)に出雲大社の分霊をお迎えして創建されたとのこと。
御祭神は、大国主命・大日霊尊・素戔嗚命なのですが、境内には弘法大師にまつわる石造などがちらほら。
神宮太々神楽の碑があるのは、かつて神楽の奉納もあったということなのかな。
現在は神楽殿は無いのですが、後で行った神社にも神楽つながりで縁がありそうで、ちょっと気になる。

常総市菅生 大八洲神社。

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『茨城県神社誌』にも出てこないし、この神社について、今のところ詳しいことは分かりません。

常総市菅生 別雷(べつらい)神社。

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享保17年(1732)に別雷(わけいかづち)神を祀ったのが起源。
この神社、決して大きくはないのですが、小ぶりのちょっと変わった拝殿が菅生小学校の奉安殿を移したものだったり、明治初期に再建された本殿の周囲を飾る彫刻が、名工:後藤縫之助の手になるものだったりして、ただの神社ではない。

常総市大生郷 菅原道真公御廟所

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ここは天神様のお墓です。
藤原時平との権力争いに敗れて大宰府に流され、かの地で亡くなった菅原道真公は雷神となって宮中に落ちたりしたため祟りを恐れた朝廷は遺児を呼び戻し、三男の景行を下総守として赴任させました。
景行は最初、桜川市真壁町羽鳥の眺めの良い場所に持ち帰った父の遺骨を埋めたのですが、土着するにあたって、この大生郷に改葬したのだそうです。
だから重要な天神ざまで、東京の亀戸天神や湯島天神などより参拝客が多くてもよさそうですが、同じ茨城県の人間でも知らない人がいるくらいマイナーな感じ。
理由は場所かな。
交通の便が良くないんです。
常総鉄道の三妻か中妻が最寄駅になりますが、そこからもけっこう距離があり、車がないと行きにくい。

常総市大生郷 大生郷天満宮

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多賀谷氏の寄贈した社殿があったが、大正8年の大火で炎上。
現在の社殿はその後再建されたもの。
社前には、親鸞聖人が参拝されたとき植えたと伝わる樹齢700年を超える大杉があったが明治35年の台風で折れ、社殿が炎上したときに類焼して、現在は焼け残った幹が境内に保存されています。
本殿の裏には諸神が勧進されていて、総社のようになっています。

常総市大生郷 安楽寺(元三大師)

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大生郷天満宮の別当寺だったお寺。
安楽寺は九州の大宰府にもあります。
道真公の遺骸を近くの寺に埋めようとしたら牛が動かなくなったため、そこ安楽寺を造り、遺骸を収めた上に天満宮を造営したということになっているのですが、こちらも同じ名前なのは、そちらに倣ったということか?
行ったときは、蠟梅が満開でした。
境内に上智大学の考古学チームが発掘した石棺というのがあったんですが、あの学校考古学チームなんかあったの?



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