邦題を聴くと、何か登場人物が、始終罪悪感に苛まれている重たい空気がのし掛かっているかのシリアス感を連想させて鑑賞が避けられるのではないかの危惧を抱いてしまって。そういうのが、「考えすぎ」だったら良かったのだけど、地方ともなると、見向きもされないみたいで。この面白さが、浸透していないのが惜しい。
さっき上げた懸念要素は、本編を見ると全くの「真逆」で深刻さは微塵も無く、前向きなヒロインたちが、逆境やピンチを、知恵を絞って度胸とノリで乗り越えるさまが、足取り軽く繰り広げられて。公式HPには「クライムミステリー」と謳われているけれど、謎解きの歯ごたえとか皆無で、今の時代も続く男たちのハラスメントと見栄に満ちた社会を、スイスイと持てる「武器」を目一杯使って、まるで「絵に描いた」様に、泳いでいくのが心地よく、成り上がってゆくヒロインたちが、次第に愛しく、ファニーに映る。
1930年代のパリ。鳴かず飛ばずの女優のマドレーヌは、端役のオファーを口実に呼び出されていた大邸宅に住む大物プロデューサー殺人の容疑を掛けられて。彼女とアパートで極貧共同生活を送る、これまた世に出ていない弁護士の卵のポーリーヌは、一計を案じ、正当防衛に持ち込むべく、マドレーヌの意見陳述の「台本」を仕立てて、法廷で見事に悲劇のヒロインを演じて狙い通りの判決を勝ち取るどころか、世間の同情心を煽って一躍寵児に踊り出し女優としての仕事が回り始めて、ポーリーヌ共々邸宅に住み極貧からセレブ生活に転ずる成功を手に入れる。そこへ、自分がプロデューサーを殺した犯人だと、無声映画時代に名声を得たもののトーキーとなって凋落傾向の超ベテラン女優のオデットが現れて、マドレーヌとポーリーヌは、折角つかんだ成功にしがみつこうと、なりふり構わない行動を起こす。
粗筋を目にして、「シカゴ」を連想したけれど。米国製のあちらは、本当にクロなのに弁護士の力で事実を曲げて、マスコミの力も借りて悲劇の犯人として人気者になる辺りに、社会構図への批判が込められていたけれど。こちらは、もともとシロいのにクロであると見せかけて、二人の「幸せ」を追求するという、あくまで個人本意、ひととしての在り方、生き方を面白可笑しく見せる趣旨のフランス製コメディ。なので、若い娘だけで、「こんな調子よく物事解決するワケない」などと無粋な異議を唱えるようでは、ダメです。
本作の被害者は、「配役」を餌にして、目に留まった若い女優たちと「関係を持っていた」とされていて。現代に通じるというより、ようやく社会の表に出て来るようになった、昔から変わらぬ悪しき業界にはびこる男性によるハラスメントを逆手にとって、それをネタに、金なし、力なしの若い娘がのし上がって。しかも、他の登場男性人物の社会的地位のある、年配者に、マドレーヌの「恋人」とされる大会社の放蕩ジュニアも、社会的体裁や形式へ妙と云うかヘン過ぎる拘りがあって。それ故、時に「堂々巡り」的で、時代感も敢えて出しているのかもしれないけれど、回りくどいやり取りがされるところ、物怖じも見せず聡明な若い娘の切り替えしによって、女性たちにとって都合よく物事が運ぶように進んでいく。そのあたりは、脚本も書く今年本作が公開3本目という、一時、邦画界での三池監督のようなハイペースリリースで気を吐くフランソワ・オゾン監督の大らかな時代を舞台にした本作に忍び込ませた、犯罪喜劇の雰囲気と軽妙さを壊さない程度の今日的批判性も汲まれているのでしょう。
これまた、色んな作品に出まくっている感の強いイザベル・ユペール(私が見るのは、ご無沙汰感が強い)さんは、「雨に唄えば」に出て来る、トーキーに適応出来なかった女優を思い起させるオデット役として、少ない場面で、大威張りもしてないのに、吹かせる「大御所」風の強さは芸歴の賜物で、若い娘たちを慌てふためかせるのには十分すぎる威光を放っております。マドレーヌ役のナディア・テレスキウィッツさんも、ブロンドにパッチリした目やボテっとした唇だとか衆目集めそうな顔の作りが如何にも当時の女優さん然としているうえに、劇中、男の気を惹く為の僅かな数十秒にも関わらず、服をはだけてくれる眼福ショットまである作品への献身も見せてくれて。なにより、小気味よい展開に欠かせない、女性二人のコンビネーションを作り出しておりますが、私は、ポーリーヌ役のレベッカ・マルデールさんに目が留まりました。
ポスター等では、マドレーヌと同じ金髪に見えるけど、黒髪で、憂いと知性を思わせる顔部分の眉から鼻筋のつくり。役柄的に表立つのはマドレーヌの方だから、ちよっと、後半になると場面が少ないのが、残念なのですが。法廷の場面で、自分の立てた筋書きで悲劇のヒロインを演じるポーリーヌの姿を段下から、うっとりとしたように見上げる表情だとか、オデットから、その裁判での件で、見事判決を勝ち取るまでの「構成」を褒められた際、嬉しさを隠しきれない様子だとか。マドレーヌと違って、特定の意中の男相手が出ていないのもあって、この辺りも、オゾン監督だからこその人物造形なのかなと穿っちゃいます。
裁判に臨むにあたって、確か、マドレーヌは、「舞台には、緑色の服は縁起が悪いから違う色のものを着ていこう」と、そんな事を言っていた記憶があるのですが。判決が出て、暮らし向きも上がってから、確か、邸宅に移って、二人して緑色の服装をしていて。そういう、さもないところからして、見ているこちらも楽しく映って来て、見ている一時ではありますが、現実の煩わしさが吹っ飛びました。なので、本作が、広く知れ渡っていないのが、勿体ないというか、残念な映画興行の現状であります。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネマサンシャイン沼津 シネマ8にて
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