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2022年12月24日10:01

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「日本文人詩選」中公文庫 入谷義高  1992年

「日本文人詩選」中公文庫 入谷義高  1992年 摘み読みしてます。入谷義高さん、さすがですね。 祇園 南海の作品の注釈など、博識・的確で感心してしまいます。
入谷先生の序の部分を掲示する。
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欧陽修(1007-1072)の言う通り「古の画は意を画いて形を画か」ないのかどうかは別にして、東洋の絵画には描かないことによって意を伝えようとすることがある。
無音を表すために前後に音を入れるというようなこと。
禅の十牛図に出て来る円相なども、無であることを示すために丸を描いている。
拈華微笑や取経の旅に出た三蔵法師たちが最初に渡された経典は字の書いてない白紙の経典だったという西遊記の記載のような、言葉や文字を介さない意思の疎通というようなもので、そこに言葉や文字、音や形や色が入ってもいいというようなものが伝心ということだと考えられていたのだろう。
詩や絵画が伝心の手段であるように、音楽や聞香、接触でも、受け取れる相手がいれば、五感が伝心の担い手になる。
しかし、そんな見方ができる人間ばかりではない。
伯楽や韓幹はそこいらに転がっているわけではなく、伯楽がいないばかりに空しく朽ちていく千里の馬は多々出てきてしまうことになる。
まぁせいぜい、流れ去る梅花を掬い取って余光を愛でてやりたいものだと思う。

日本の文人画については、残念ながら入谷先生のご指摘通りの面もある。
しかし、日本の風土ならではの作品もあるのではないか?
それを楽しむ事は出来ないのであろうか?
それは。池大雅や頼山陽に限らないと思う。
例えば浦上玉堂の「凍雲篩雪図」など、墨も違うようだが、他の追随を許さない名品だろう。


書家として有名な貫名海屋の詩、題山水図「春寒花蕊未飛香 山気自然経雨芳 繞屋千竿不虚設 幽人早課聆鶯簧(春寒 花蕊は未だ香りを飛ばさず 山気 自然に雨を経て芳し 屋を繞(めぐ)る千竿 虚しくは設けず 幽人の早課 鶯簧(おうこう)を聆(き)く)」。
これ、隠者が朝に鶯の声を聴く楽しみを歌っているのですが、竹林を「千竿」などと表現するのは、いかにも苦し紛れで、物干し竿が何重にも取り囲んでいるみたい。
中国人ならやらない表現ですね。
そんなことも含めて面白い。

※これ、書き足しますので、未完です。
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