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2022年02月23日21:05

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入矢義高「南泉斬猫私解」を読む(3)

この記載で重要なことは、趙州が出てこないということ。
趙州が出てくるのは、今見られる本では『景徳傳燈録』(北宋、道原編 30巻 僧の伝記集)だという。
猫を斬った話の後、こんな記載が続く。
「趙州、外より帰りたるに、師、前話を挙して之(こ)れに示す。趙州、乃ち履(くつ)を脱ぎ、頭上に安(お)いて出ず。師曰く、「汝適来若し在(あ)らば、即ち猫児を救い得たり」」
趙州が帰って来たので、南泉が猫を斬った話をすると、趙州はすぐに履を頭の上に置いて出て行った。南泉は「そなたがあの時帰ってきていたら、猫は助かっていたろうに」と言った。

入矢先生は、この事件は「極めて日常的な場で起こったトラブルであって、一大事因縁なんてものではない」「それを南泉は、臨済の言う「剣刃の事」にいきなり持ち込んでしまった」と分析します。
猫を斬る刀ですが、僧が行脚するときに持って行く七つ道具の一つで護身用の刀だそうです。
僧堂で普段から持ち歩くようなものではない。
だから南泉は、覚悟して持ってきたのだろうというのです。
僧たちが何か発言することを期待したが皆沈黙している。
それでのっぴきならなくなって猫を斬ったというのです。
趙州の行動もいささか常軌を逸している。
その心情を入矢先生はこう解釈しています。
「日ごろから、〈平常心是れ道〉と仰せのあなたなのに、なぜ平常心に立って、事を処理なさらなかったのですか。いきなり刀を持ち出し、挙げ句には血を流させるなんて、あきれたものだ。なんと大人げないことを。あなたのやり口は、私に言わせると、まるで児戯ですよ。では、せめてお相伴させていただいて、猫戯をやらせてもらいましょうか。それ、この通り」
つまり、話を聞いた趙州は、鼻で笑って靴を頭の上に置いて出て行ったというわけです。
このあとどうなるだろうか?
想像できるのは、首座にしろ堂衆にしろ、ネコを飼うにしても問題を起こさないようにし、起こした場合でも南泉に持ち込まれないように処理するようになっただろうということ。
『虚堂和尚語録』(虚堂智愚(1185-1269)の語録)が書くように、猫がいなくなったから鼠が増えたということでもあるまいと思います。

ここまで読むと、なんだつまらない答えだなと思われるかもしれない。
白隠禅師(1686-1769)の公案「隻手音声(片手拍手の音を聞け)」のように、空だのなんだの、もっと形而上のお話にならないのかということなのだが、それは唐代の禅の公案と、宋代のものとの違いもあるのかと思う。
これは小川隆教授の話なのだが、唐代の公案には具体的な答えがあったというのだ。
例えば「祖師西来意(達磨が来朝したのは何のためか)」の答「麻三斤(麻布約2,040ℊ)」の「麻三斤」というのは当時の麻布の取引単位で、鉛筆の一ダースなどと同じような言い方なのだと言う。
そしてなぜ三斤なのかというと、人一人分の服を仕立てるのに必要な量だという。
つまりこの答えは、麻の量を言っているのではなく、一人の人間のこと、答えは自分の中にあるということだというのだ。
それが宋代になると答えがわからないように変わった。
日本には、宋代の禅が入ってきたので、わからないのが禅問答ということになったということなのだが、白隠の公案もそうした延長線上にあるということ。
だから唐代の話は、つまらない答えでも、答えが出てしまうのだ。
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