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2022年02月09日22:44

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山 のこと

「穂高を愛した男 宮田八郎 命の映像記録」見てます。
享年52歳。
若死にということなのかもしれないが、いい生き方だったんじゃないかと思う。
養父は北巨摩の人で、一時期山男になるんじゃないかと心配されたらしい。
ウチには山でとってきたという岩松が井戸の石垣に植えられていた。
山登りと言っても、今のように登山道が整備されていたわけではなく、木に矢印が書いてあるので、その方向に登っていくというような登山だったと話していた。
まだ小学校の低学年だったと思うが、近くの山に連れて行ってくれたことがあった。
山の上でおにぎりを食べて帰ってくるというだけの山登りだったが、はるかに中央線の線路が見えて、まだ汽車の時代だったから、列車が見えたら、谷内こうたの「なつのあさ」の世界だったろう。
子供のころは海の方が好きだったが、今では山もいいもんだと思う。

私は山男 ではなかった。
そんな私でも、二度、一番高い山に登ったことがある。

一つは中二の夏に行った富士山。
言うまでもなく、日本の最高峰だ。
メンバーは、同級生の友人(男)、ウチで長く働いてくれていた女性とその妹、そして威勢はいいのだがヘタレのお兄ちゃんという5人。
五合目までバスで行き、1時間ほど体を慣らしてから登山。
登山道は一本道で人も多いから迷いようも無いのだが、ヘタレのお兄ちゃんが心配で、同級生の友人に先頭を行ってもらい、私がしんがりで、年上の三人には自分のペースで歩いてもらうことにした。

登り始めると、大きな荷物を背負ったがっちりしたお兄さん二人が登って行った。
「歩荷(ボッカ)だぁ」
横を歩いていた人が言う。
「あんなにたくさん重そうな荷物を担いで登る人もいるんだから頑張ってよ」
ヘタレさんに牽制球を投げておいたのだが、案の定、すごい勢いで登り始めて、たちまちへばってしまった。
軽いリックしか背負ってないのに情けないと思ったが、残していくわけにもいかないので、リックを持ってやって励ましながら登る。
それでも足が止まりがちで、日帰りの予定が、7合目までたどり着くのが限界になってしまった。
仕方が無いので、山小屋で一泊。
山小屋というものは、宿泊を拒否できないんだそうで、かなり定員オーバーだった。
一つの布団に二人で寝て、隣の人の足が目の前に来るような状態なのだが、靴下の臭いなんか気にしていたら寝られない。
床も固いし枕も違うしで、結局ロクに寝られなかったのだが、料金だけは一人前にとられた。
そして、まだ暗いうちから起きて登り始める人がいて、我々も、起きてしまったから登ることにする。
例のヘタレ氏は、「頭が痛い」と言い出して、いっそう足取りが重くなったのだが、さすがに頂上は目の前だから、明るくなってきてから、「先に行ってくれ」と言う。
もう道に迷うことも無いかと思い、それではと先に行く。
頂上には、先に行った三人が休んでいて、景色を見ていた。
周囲は雲に覆われていて、富士山だけが雲の上に出ているような状態だった。
時間があればお鉢巡りもと考えていたが、スマホも無い時代、ヘタレ氏が到着して休ませたら、急いで戻らないとウチで心配されそう。
それで、須走口から下山。
金剛杖を支えにして豪快に滑り降りた。
これで、買ったばかりのスニーカーの底が抜けた。
靴下までは切れなかったので、裸足で帰らなくて済んだが、かなり歩きにくくなった。
そのうえ、途中で道がわからなくなった。
周囲に人もいない。
おかしなところに降りたら、何日かさ迷うことにもなりかねない。
焦って周囲を探したら、小屋があった。
行ってみると人がいて、道案内できるという。
ただし有料で、登るなら安いが、下りは少し高いという。
お金のことは言ってられないので、払って案内してもらう。
足手まといになって悪いと思ったのだろう、案内料はヘタレ氏が払ってくれた。
というわけで、御殿場から帰ってきたのが、最初の「登山」。

二回目は二十歳のころ、雲取山に登った。
高校の友人三人と、奥多摩湖畔から登った。
三条の湯に一泊して、温泉に入り、飯盒炊飯する予定がご飯炊くのに失敗。
ワンゲル部員が同行しているのに何事かとなじられたが、失敗したものはしょうがないので、少々高めだったが富士山ほどではない食事を出してもらう。
ここで泊まるのではなく、山頂まで登る。
山頂に避難小屋があり、そこで寝るのだ。
行ってみたら、先客がいる。
小石川高校の生徒だという。
狭くなったが、彼らが譲ってくれたので、どうにか寝ることができた。
寝るまでに、小屋の中で焚火しようとして、湿った木が煙ってみんなが燻りだされたり、まぁ我々は迷惑な奴でしたね。ハイ。(-_-;)

暮れていく奥多摩。
東京が異様に明るく見えた。
雲海が出て、足元を雲が流れていった。
はるかに富士山が雲海の上に浮かんでいる。
すると、丸い光が富士山の周辺を飛び回った。
「UFOか?」
「まさか(笑)」
蘇軾が見たのもこんな光だったのだろうか。
寝袋で寝るのは、16歳の時、紀伊半島一周の一人旅で経験済み。
割合よく寝られた。

翌朝、明るくなってみんなが起きだすと、三峰の方から親子が登ってきた。
雲取山荘に泊まったのだという。
子供は小学生くらいだったが、我々より元気そうだった。
リーダーの元ワンゲル部員。
大きなリックを背負っているので、何が入っているのか聞くと、コッヘルだの何だの、遭難に備えて自活できるものを背負ってきたんだとか。
結局、炊飯に失敗した飯盒以外使わなかったんだけど。
山岳部と違って、山登りにワンゲルはダメだなぁという結論を得て帰ってきたというような登山だった。


何が一番かというと、雲取山は東京都の最高峰なのです。
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