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2019年09月06日20:28

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茨城県下妻市横根 赤城神社

横瀬 夜雨(1878 - 1934)の生家に近い場所にある赤城神社を訪ねた。

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元々、横瀬家の屋敷神だったかもしれないと、ここで出会った老人が話した。
上毛赤城神社の分祠で、この辺が鳥羽の海だったころに開拓に入ってこの地を開いた人が、群馬の人だったことによるともいう。
鞘堂に入ってはいるが、本殿の屋根に穴が開いていて、葺き替えたいのだが、予算もないし職人も探さねばならぬと嘆いていた。
立派な彫刻もあるので、このまま朽ちさせるのは惜しいだろう。

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この老人、昭和9年(1934)生まれだそうで、御年85歳。
戦時中の話など、小学校で話してやりたいが、お呼びがかからないと嘆いていた。
私は古老の話を聞くのは大好き。
それで、伺った話。

シンガポール陥落の時は、先生と一緒に生徒たち全員で大宝神社に参拝し、万歳を叫びながら高道祖の香取神社まで行進した。
空襲警報もあって、そのたびに防空壕に入った。
※こんな田舎でと驚いたのだが (ーー;)
近くに飛行機工場があり、米軍機と日本軍機の空中戦も見た。
米軍機が撃墜され、つくば方向に煙を吐いて墜ちていった。
米兵が憎くて、槍で突いた。
※竹槍だろうか?
戦後は物乞いが多くなった。
一時神社の床下に住んでいるのもいた。
※私が子供のころでも、「水を飲ませてください」と言って、ウチのような貧乏屋に来る物乞いもいた。
この辺の人は、ザルにお米を入れて、そっと外に出して置いたりしたのだそうだ。
コメは統制品だったから、農家でもそんなには自由にならなかった。
しかし、情けをかける人はいるものだ。
このコメなどで、東京にいるより生き延びられた人がいるのかもしれない。

余談ながら、下妻市に「鯨」という地名がある。
鳥羽の海だった時代に鯨が流れ着いたので命名されたのかと思ったら、鯨の形に似た丘があったためだとのこと。

話が弾んで日も西に傾き、暗くならないうちに、私は退散した。

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