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2019年06月06日18:28

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「できるかもね」

NHK「ラジオ深夜便」(6月5日午前1時代)でやっていた、電機メーカー専務 植松努氏のインタビュー聞いてます。
この方、ポリエチレンなど市販の部品でカムイロケットを打ち上げているグループの方。
この会社、人工衛星も作っているし、農作業の機械も作っているし、極地探検用の橇も作っているしという会社で、それだけでも面白いのだが、経歴がもっと面白い。
小学校のころ、毎日教師に殴られていたというのだ。
その教師は家庭でDVを受けていて、弱くて優しい人間を虐めて憂さ晴らしをしていたらしい。
そしてその先生がいつも言っていたのが「どうせムリ」という言葉だった。
当時は先生が絶対で、殴られるのは自分が悪いからだと自分も周囲も思うような時代だったので、誰にも言えなかったことだった。
しかし彼はこう考える。
「あぁこの“どうせムリ”という言葉が当人の可能性を奪って、他人の可能性も奪ってしまうのだな。それが繰り返されて、児童虐待になるのかもしれない。それなら、“どうせムリ”という言葉がこの世から無くなればいいのかな。しかし、そんな言葉は、生まれた時には誰も知らない言葉なんだ。どうしてそんな言葉が生まれてくるのか考えていたら、宇宙に行きついた。宇宙開発なんて、国家事業でやらなければできないことで、その事業に携わる人間は、東大を出ているような頭のいい人しかかかわれないと思っているけど、そんな情報はどこで手に入れたのか?本当に宇宙開発をしたい人はそんなことな言わない。実は、やったことがない人が根拠もなく言っていることに過ぎないんじゃないか。」
それで宇宙開発にもかかわれるんじゃないかと思っていた時に、北大の先生が安全なロケット開発をしているというニュースが飛び込んできて、連絡を取ってみたら、実験場を探しているというので、うちの敷地でよければということで提供した。
そしてら、その先生が、自分の研究に国が予算をつけてくれないと嘆いていることがわかり、お金は援助できないが、部品なら作れますよと言って、援助することにしたというのだ。
“どうせムリ”と言ってしまえばそれまでだが、「できるかもね」と言ってみれば、できるかもしれないのだ。
そんな話だ。
小学校の時に児童虐待に会いながら、自殺もせずに生き延びたのは、先生や大人たちの言っていることを信じていなかったからだという。
“どうせムリ”なのではなく「できるかもね」と思っていたということ。

いい話だと思った。


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