ウチの実家の先祖が忌部氏かもしれないということで、『古語拾遺』(齋部広成撰)をちょっと見ていた。
忌部氏(後に齋部と改める)は天照大神が岩戸隠れをした時に、中臣氏の祖である天児屋命と共に祈祷して出御を促した太玉命の後裔であるが、宮中祭祀をめぐって中臣氏ともめ、大同元年8月に裁定が下ったが、その弁明のために作られたのが『古語拾遺』であるとの説があった。
そして「中臣氏の権勢に圧せられて、家門の振るわぬのを歎いて平城天皇に上奏した「愁訴状」」(「疑斎(古語拾遺論考)」日下部勝美 著 安永2年)などと評されてきたらしいが、岩波文庫本の解説で西宮一民が明確に否定している。
著者の齋部広成についての記録も多くないようだが、六国史でも一番散逸してしまっている『日本後紀』の扱、っている時代なので仕方ないのかもしれない。
そんなことで、『古事記』についても見ておこうと思ったのだが、日本思想大系『古事記』の月報に松本清張がこんなことを書いていた。
古資料に依ったものではあるが、太安万侶の私選の史書だというのだ。
いま、ウチの歴史である家記を書いているので、己の立場を省みて、考えさせられる。
ログインしてコメントを確認・投稿する