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2016年07月30日22:12

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駐在武官 小野寺夫妻の戦争

NHKでスウェーデン駐在武官だった小野寺 信大佐(後、少将)と、妻、百合子のことをドラマにして放送している。
先日、友人の書いた「終戦のマグノリア」という東大の教官などによる終戦工作(モデルは京大の終戦工作)という小説を読んだばかりであり、ちょっと思い出したので、チラ裏日記。
東京放送児童劇団の後輩に矢倉さんという女性がいた。
彼女は後輩だが、私とは同年で、仕事を一緒にしたことは無かったが、劇団の卒業旅行も一緒に行った。
卒団してから同窓会で会う事があって、私もその頃は彼女の勤めていた小学館の辞書の仕事を下請けしていたので(彼女は正社員だったが)、私から近づいて話しかけた。
ちょうどNHKで放送していた「私は日本のスパイだった」というドキュメンタリーの話になり、彼女の父上が、大戦時、スペイン駐在武官だったという話を聞いた。
NHKのドキュメンタリーは、ちょうどそのスペインで、スペイン公使の須磨弥吉郎に通じて情報を流していた、ユダヤ系スペイン人(スファラディム)で、スペインの「ファランヘ党」の設立者の1人であったアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコの諜報活動の話だったのだが、駐在武官だった矢倉さんの父上も、このべラスコを含めて、スペインにおける諜報活動については少なからず知っていたのではないかと思った。
それで、父上からスペイン時代の話を聞いたのかと尋ねたら、ほとんどそんな話はしなかったという。
しかも病気で、余命いくばくと言う状態だったらしく、ムリに話を聞きだすどころか、働き盛りの彼女の仕事も忙しく、逢うのも大変な状態だったらしい。
わたしは、強く生き証人だった父上の話を聞くように勧めたのだが、「本人が話したがらないのだから」と消極的で、結局、何も語らないままお亡くなりになったらしい。
こうして失われた情報は、きっと山のようにあるのだろう。

終戦から70年以上たって、齢90を越えた老兵たちが、重い口を開いたという事もある。
南方で、人肉を食って生き延びた話。恐らく、人肉を食ってでも生き延びようとしても、命を落とした人は大勢いたのだろう。
北支派遣軍だった実父の駐屯地には、射撃場が二か所あったと語っていた。
これは、射撃場ではなく、処刑場だったのだろう。
その話に付随して、「あの辺は土が固いので、死体は穴を掘って首だけ埋めた」と語っていた。
初年兵が度胸づけとして、中国人捕虜を柱に縛り付けて、銃剣で刺殺した話も、実際に行われていたことを違う筋から聞いた。
皇軍だの英霊だのともてはやす連中は、私より戦争を知らないのだと思う。
でなければ、戦争ができる人間を生み出して、何かに利用しようとしているのだろう。


我々が死んだら、こんな話もみんな、日教組の洗脳教育が生み出したものにされてしまうのだろうか?
実際に、殺したり殺されたりするのは、墓の中の私たちではないというのに。
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