今日は、学芸大学、松岡教授の「詩経全訳」出版記念講演を聞きに、東京学芸大学に行って来た。
メインテーマは翻訳についての話。
東京学芸大学 20周年記念飯島同窓会館
日中翻訳文化サロン「中日翻訳の楽しみ――『詩経』日本語翻訳の現場から」
(『詩経』日本語訳本刊行記念講演)
外文出版社と言う中国の出版社から刊行された本で、「大中華文庫」という叢書の中に入る。
ご本人が昨日、香港から本を抱えて帰って来たらしい。
詩経の伝来や受容についても触れられていたので、このレジュメで語られなかったことに若干触れておこう。
伝来としては、五経をもたらしたのは継体天皇(450-531)10年、百済経由であったこと、それでいいのだが、これ以前にはなったのかというと、わからないというところだろう。
※余談だが、この頃の五経は、礼・樂・書・論語・孝経で、樂が詩経と解されるのが普通だが、これに詩経を合わせて六経だったのではないかという話もあるようだ。
徐福が3千人の若い男女や工人を連れて和歌山県の新宮に上陸したという伝説がある。
始皇帝(紀元前259年 - 紀元前210年)の時代の話だから、継体天皇よりだいぶ古い。
青森から鹿児島まで徐福を祀った神社があり、日本中にその子孫が散ったらしい。
だとするなら、大半の日本人が何らかの形でこの一族の血に繋がっているのかもしれない。
彼らは詩経を持ち込まなかったのだろうか?
持ち込んだかもしれないではないか。
これは松岡先生の話。
まぁ、そうなのだが、わからないということ。
彼は触れなかったが、毛詩(詩経のこと。毛亨・毛萇の注のある本が孔子を経て盛行したのでこうも呼ばれる))は、「日本国見在所目録」(藤原佐世撰。寛平3 (891) 年頃)にも載っているし、「御堂関白記」や「後愚昧記」「師守記」などの公家日記にも名前が出てくる。
「御堂関白記」には、皇太子出生のおりに「尚書」「千字文」などと共に読んだようだ。賢い帝王になってもらおうというまじないか。
これは「日本国見在所目録」
江戸時代。庶民も学問するようになるとあまり読まれなくなり、明治になって若干復活するが、全訳はほとんどないという。
英訳はあるのだそうだ。
この一覧表。吉川幸次郎先生は国風しかやってない。
石川忠久先生は、序を書いただけで、中身はやっていないそうだ。
作家の海音寺潮五郎がやったものが全訳に近いと言っていたが、私も持っているから言わせてもらうと、国風以外はただの書き下しみたいで、この人ホントに理解して読んでいるかな?と思えるでき。
ちょっと長くなったので、続きはまた。
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