息子の通っていた大学で、学位授与式(卒業式)があった。
小学校入学から、留学していた一年を加えて17年間の学校生活が終わったのだ。
過ぎてしまえば、あっという間の17年間。
三日にわたる就職先の研修に出かけてしまった息子のことを考えて、様々なことが頭を駆け巡る。
女房のお腹にいた時に、遅まきの新婚旅行に出かけた震災前の神戸。大文字焼をやっていた奈良・京都。
生まれたのは、一年目の結婚記念日だった。
三歳になって、保育園に入れた。
自立心を養ってほしいと思ったのだが、選択は間違っていなかったと思う。
小学校では、良い先生にも巡り合った。
しかし、その先生が退官すると学級崩壊にもあった。
中学時代は精神的に不安定になり、女房と喧嘩して家を出て行きそうになったこともあった。
小学校からの同級生たちが私立に行く中で、区立中学から近くの都立高校に入学。
当人の希望で塾に行くようになったが、そこで出会った人たちは、今でも付き合いのある友人になった。
大学入試では、彼よりできる子が共通一次でしくじって。東大を受けられなかった。
当人も一校補欠で、結局合格できないという事もあったが、私はむしろ順調に行きすぎない方が当人の為だったのではなかろうかと思った。
東大を受験しなかった友人は京都大学に、当人は上智大学に行くことになり、ともかく、現役で大学に行ってくれることになったのだから、親としては胸をなでおろしていた。
大学には、入院などした時の共済制度があって、一年掛け捨てで1000円だった。
息子は、毎年これを使う事になった。
一年目は英語の試験直前に盲腸で緊急入院。事情をメールで送ったら、先生から「あなたは英語で理由を書いてくるべきです」という英語の返事が来た。
二年の時はテニス同好会の合宿の帰りにバスの中で容態がおかしくなって、途中下車して入院。わたしは茨城の実家に行っていたので、女房に迎えに行ってもらった。
三年の時は、初めての衆議院選挙で地方選とも重なり、初投票を楽しみにしていたら、投票前日にノロウィルスで緊急入院。
四年になるときに休学してアメリカに留学することになり、向こうで病気になったらどうしようかと思っていたら、これはセーフ。
改めてなった四年では、単位がぎりぎりで「留年は勘弁してくれよ」(ーー;)と思っていたら、ケンブリッジでの短期講習で得た単位などもあり、何とか卒業できることになった。
当人は、五段階評価で4.8くらいだったとかで、結局4単位くらいプラスだったとか。
「だったらケンブリッジなんか行かなくてもよかったんじゃないの」と、出資者の女房から文句も出たが、まぁ、いい経験にはなったろう。
幸いなことに就職は四月中に内々定だったから、学業に集中できたのもよかったのかもしれない。
そして昨日が卒業式だったのだ。
6:4で女性が多い大学なので、卒業式は華やかだった。
少し早く着いたので、神戸屋で朝食。
保護者は一人しか入れないので女房が会場へ。
わたしは二つ作られたモニター室の一つで、入場できなかった保護者達と画面を見ていた。
開会前に学生たちのオーケストラがマイスタージンガーなどを演奏していた。
マイスタージンガーは高校の入学式の時も在校生のオーケストラが生演奏していた曲。
始めに神父様が出てきて祈りと卒業生に祝福が与えられた。
マタイ伝の一節が朗読され、二つ歌われた讃美歌。
ラテン語だったのか、一つは内容不明だが、日本語で歌われた方はいい内容だった。
知らない歌だったので正確には書けないが、「与えられるのを望むより与えることを、愛されること求めるよりも愛することを、理解されることを望むよりも理解することを」と言うような内容だった。
学長の祝辞。
今年の卒業生が入学したのは2011年。
東日本大震災の影響で入学式が出来なかったことから、2011年に言えなかった「入学おめでとう」という言葉から話が始まった。
東日本大震災で、最後まで残って支援してくれた国がトルコだったという話。
トルコはイラン・イラク戦争の時の邦人救出もしてくれた。
なぜトルコがこれほど日本によくしてくれるのかというと、起源は1890年(明治23年)9月16日、和歌山県串本沖で起こったエルトゥールル号遭難事件だという。
台風によって座礁したエルトゥールル号の船員たちを村人が身を挺して救助し、乏しい食糧を分かち与え、海軍は「金剛」「比叡」の二艘を出して帰国させ、日本全国からの募金で、現在のお金で一億円にも上る義捐金をトルコに送っているという。
このことを、トルコ国民は忘れていなかったというのだ。
このことに関しては学部長の話として、「情けは人の為ならずと言うが、短時間で他者にしたことを考えないでほしい。もっと長いスパンで物事を考えてほしい。つまづいて、苦しいことがあっても、それを人生の糧として生かして行ってほしい。必ず糧になるものだから」という話にもつながるのだが、学長の話は建学の精神に話に進む。
あ、この学校、作ったのはイエズス会なので辿ればフランシスコ・ザビエルの頃にさかのぼるというのだが、まぁそれは置いておいて。
建学の精神は「Men and Women for Others , with Others (他者のために、他者と共に)」ということだという。
弱いもの、苦しんでいる者に寄り添い、出来ることをしようという事。
記録はしておいたのだが、学長の話はこれくらいにしておこう。
学長奨励賞の受賞などもあったのでちょこっと。
二人いて、一人は全日本セパタクローオープン選手権大会で優勝した神学科の女性。
もう一人はミスインターナショナル日本代表になった仏文の女性。
やはり女性が強いようだ。
会場が有楽町だったので、学部での学位授与式も見に行くことにして、四谷の大学まで歩いた。
真っ直ぐ行くと馬場先門。
その先は二重橋。
皇居前広場の松はホントに手入れがいい。
剪定のお手本のような木が並ぶ。
二重橋門は儀式の時しか使わないせいか、藻が繁茂していた。
今からこれでは夏が思いやられるが、それまでには掃除するのだろうか。
関東大震災及び東日本大震災で被害を受けた桜田門は綺麗になっていた。
内堀の植え込みには土筆が出ている。
ちょっと寄り道だが、女房の希望で、永田町の治平で昼食。
角煮定食だ。
御飯のお替り自由で950円。
元々はすぐ近くの全国町村会館にあった玄和堂研究室で漢籍を読んでいた頃時々使っていた店なのだが、よく続いていてくれる。
国立劇場前の桜がもう咲いていたが、近道を取ったので砂防会館前を通って甲州街道へ。
大学の近くの店で息子と待ち合わせ、一緒に大学に向かった。
正門で一緒に写真を撮ろうと思ったら、並んでる。
待ったが、授与式が始まってしまいそうなので後で撮ることにして校内へ。
息子は先に会場に向かい、私は女房とアルバムの申し込みなどした後、校内を見ながら行く。
校内のクルトゥルハイム(旧高島鞆之助邸)が開いていたので、寄って行く。
講談社の構内にあった三井邸を連想する。
二階は会堂になっていて、結婚式を挙げる人もいるらしい。
ここに置いてあったパンフレットを見て、今朝歌っていた讃美歌がわかった。
これだ。
しかし、アッシジのフランシスコはカトリックではあるけどフランシスコ会で、イエズス会ではないじゃん。
しかし、この教えはいいから、イエズス会でも採用されたのか?
まぁ、アッシジのフランシスコと言うとこの映画を思い出してしまうのだが。
Donovanのテーマソングは、聞くと涙が出てくる。
https://www.youtube.com/watch?v=6vp8cDBK5jY
教室での学位記授与式。
学部長の話は↑上に書いたが、こんなことも言っていた。
今年は映画「バックトゥザヒューチャー」に出てくる未来で、あの映画に出て来たもので実現していないものもあるが、先を行っているものもある。
スマホなどのメディアがそれだろう。
そして今年は、IBMが作った人工知能 Watson が実用化されそうだという。
人工知能に関してはDr Stephen William Hawking や Elon Musk が警告を与えていたが、そんなに遠くない将来に君たちの競争相手になるかもしれない。
そして、「行き詰ったら大学に戻って来い。できるだけのサポートはする。君たちも後輩のためにできるだけのサポートをしろ」と言っていた。
早慶に比べたらこじんまりした所帯だが、こうした助け合いの精神は卒業生を活躍させるインフラになっているのかもしれない。
聖イグナチオ教会にも寄ってきた。
五年間、息子がお世話になりました。
あぁ〜 しかしまぁ、俺もあいつからはある面で卒業だ。
今月いっぱいは別れを惜しみたいと思うが、あとは自力更生。
頑張ってどこへでも飛んで行け〜。
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