○5月1日までの新聞から
個々については意見があるのだけど、朝日新聞が無断転載禁止を書いているので朝日新聞の記事については無視する。
読売新聞5月10日の「五郎ワールド」
特別編集委員の橋本五郎氏が書いたコラムだが、この人の書くものは面白い。
福沢諭吉が明治30年8月に「時事新報」に書いた社説を引用して、単に権力を批判するだけでなく対案を出すとか処方箋を示すとか、責任ある批判をするべきだという。
だから外交を批判するなら、自分が外務大臣だったらどんな行動をとり、どんな発言をして国内外を納得させるかを考えて意見を言うべきだというのだ。
全く同感だ。
右であれ左であれ、その発言で国内がまとめられるのか?
対象とする国を納得させられるのか?
これをクリアできなければ北朝鮮やウクライナのように外交の失敗をすることになり、解決策が戦争しかないなどという無責任な指導者になってしまうだろう。
橋本氏が、批判記事を書いた後で、その人たちに囲まれて「おまえは本当にわかって書いているのか」と詰め寄られる夢を見るという話も、まんざら虚構ではないように思える。
しかし、だから何も書くなと言うのではなく、だから勉強して書けということだろう。
彼はこう結んでいる。
「何事にも手を抜いてはならない。常に全力で当たれ。傲慢になってはいけない。常に謙虚であれ」
自らも諌めとしたい言葉だ。
○「HOLOCAUST(ホローコースト)」絶滅収容所の記憶
「アンネの日記」を破いた精神病の人がいたせいでアンネの日記やホローコーストに関する本の特設コーナーが区立図書館内にできていた。
そこの置いてあった本で、気にはなっていたのだが読むのはやめようかと思っていた本。
しかし気になって、結局借りてきてしまった。
ホローコーストに関しては「夜と霧」を読んで以来というか、「0(ゼロ)地帯(原題は「Kapo」)」を小学生の頃見て以来心に刺さった棘だった。
なので、どうしても気になった。
ただ、年と共に視点も変わってきたように思う。
今回、特に気になったのは、ナチスやドイツ人以外にもユダヤ人や他民族を弾圧し、虐待した人たちがいたという事。
これはカウナス・ポグロムという、リトアニアで起きたユダヤ人虐殺事件の写真だが、リトアニアの民族主義者に鉄棒で殴り倒されたユダヤ人たちは、気を失ったまま殺すのではなく、水をホースで浴びせられ、意識を取り戻させて、更に死ぬまで殴られたという。
リトアニアの民族主義者の協力があって、1941年の6月から12月に、21万人近くいたリトアニアのユダヤ人のうち19万5000人が殺されたというのだから、気が重くなる。
凌遅刑(りょうちけい)は中国でも行われていて、対ユダヤ人のみに行われていたわけではないのだが、個人的な恨みがあるわけでもないのに、どうしてこんなことができるのだろうか?
なんでこんなに他民族だと言うだけで憎めるのだろうか?
これは押さえつけられているセルビア人を刺殺するクロアチア人の写真だが、ウスタシャ(Ustaše)のようなクロアチア人による残虐な処刑ばかりではなく、戦後もスレブレニツァの虐殺のような惨劇が民族主義によって引き起こされている。
ユダヤ人は、ナチスに憎まれていただけではなく、多民族からも疎まれていたという背景が無ければ、これだけの大虐殺やその黙認が行われはしなかったのではないか?
そんな疑問が、頭を占めている。
「あいつは好きじゃないから口きかない」だけで済むことだと思うのに、「あいつらは殺さなくてはいけない」になってしまう。
とにかく気が重くなる本であることに変わりはなく、当然のごとく落ち込んでます。
○「院政期の仏像」京都国立博物館
平成三年に京都国立博物館でやった特別展の図録。
神保町の古本屋で、たしか2〜300円で買ったのだと思う。
資料として、調べ事に使うつもりだから、こんなのでたくさんなんですよね。
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