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2026年08月02日22:39

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「大統領のケーキ」を見て。〜子供たちを、責めないで。それは、ケーキの甘さを与えるどころか、作ることを彼らに課す大人達が負うべきもの〜

エンドロールを見ていると、NHKのロゴに並んで目を引いたのが、「全撮影はイラクで実施」の英語表記。中東危機の報道で取り上げられるのは、イランの方が専らなので、イラクは落ち着いているのかと思いがちの節もあって。なので、地政学に疎い私なんかは、本編の時代背景である、フセイン政権下の1990年代の頃のイラクに比べれば、劇映画のロケを実施できるほどに治安が回復しているものと、エンドロールから決めつけてしまったのですが、鑑賞後に読んだ本作が長編デビュー作であるハサン・ハーディ監督は、アメリカ人の製作者の後ろ盾をもって映画製作に望むにあたって、故郷でのロケは母国から歓迎されるどころか、「茨の道」だったとか。

米国からの圧力で海外交易が塞がれて物資が不足し、度々戦闘機も飛来して、経済的にも安全の上でも危機が高まって。国内の治安については、独裁者の統制下のために学校の教育も指導者のフセインに忠誠を強いる方針が引かれていた。主人公の9歳の女の子ラミアは、祖母と二人暮らしなのである。大統領閣下の誕生日が迫った日に、政権下の番犬の如き、主人への忠誠が頭に占めて、生徒の成長に果たす役割とか皆目考えていない強面のオジサン教師が仕切るホームルームで、生徒1人ひとりにノートの切れ端に名前を書かせて、菓子折りの空き箱みたいなものに集めて、親愛なる大統領への「貢物」を調達する不幸な生徒を、教師自らが箱から紙の切れ端をつまみあげて割り振る。万人に平等とされる建前の社会では、到底ありえない生徒虐待的な行いである。

日々の食料調達にも、物資不足の物価高で庶民が喘いでいるところ。本来お上から奉仕されるはずの下々の者達から、どうしたって大統領になんか届くはずのないケーキを、材料をそろえて手作りして学校で謙譲する役なんて「責め」でしかない。ラミアは、祖母の苦労を知っているから、何とか逃れたいとクジ引き前にトイレに逃げ込もうと強権教師に訴えるも、それがかえって目を引いてしまって。

翌日、ラミアは、親友に等しい自宅で飼っている雄鶏のヒンディをたすき掛けの携行袋的なものに大人しく納めて。父の形見の腕時計他、貧しい家庭の金目になりそうな日用品を荷物に納めた祖母に手を引かれ、途中ヒッチハイクで他人の手も借りて街に出てくるのだが。手に入れ難い食材を探さなくてはいけないのに、祖母は街に着くや、ラミアの身なりを年相応の女子生徒に見せる洋装を手に入れて。そのまま、彼女の知り合いらしい店の女主に「養女」として引き渡されそうになるところ、隙をついて雄鶏ヒンディを携えて、祖母との生活を守るべく独り見知らぬ街に出て食材を探そうと逃げる。同じく大統領に謙譲するフルーツ係に指名され、父親の仕事の手伝いで街の遊園地に付き添っている近所の同級生の男子サイードを探し出して合流する。そうして、学校で課された過酷な「宿題」のための材料探しで、少年少女の冒険譚という思春期の甘美な雰囲気とはほど遠い、「必死の調達」が始まった。

国名の一字違いが、大きなお国柄の違いとはなかなか分かり難いのだけれど。いたいけな児童が、学校での先生の言いつけから、日常生活とは違う局面に向き合わされるお話の大枠から、どうしても、アッバス・キアロスタミ監督が手がけた、イランの名作映画「友だちのうちはどこ?」を引き合いに出さざるを得ない。

あちらも、本編で初めて目に触れるその国の生活風土があって。学校の先生をはじめ、威厳に溢れた「大人」か出てきて。間違えて持って帰ってきてしまったモハマッド少年が、「次にノートを忘れたら退学」と叱られて、ノートの持ち主の子が自分の過ちでそんな目に合してイケないと、知らない隣村に必死の覚悟で出かけて家を探し回る様子を、素人の子供や大人を使って、その出演者のたたずまいと風景を切り取るそぼくな映像構成は、映画芸術の極致でありました。そこには、子供ならではの無垢な世界とそれに沿って導く大人の世界が「対比」的に示されておりましたが。

本編の場合は、そもそも届けられる筈のなかろう「大統領に贈る誕生祝ケーキ」を作るために、経済的行為がまだ身についていない子供を、専制政治下にあって、力の強い者には良い顔をして我慢する分、弱い者から搾取して暮らそうというその時代の仕組みが露で、大人になるための通過儀礼にもなっておらず。

ラミアが、材料探しの中で出会う養鶏卵を扱うオヤジが、一瞬良い大人の空気を醸すも、結局はイケない下世話野郎だったけど。彼女を連れて歩く道中、「君は、何か将来の夢があるのかね」みたいな事を聴く。それこそ「ケーキ屋さんになりたい」とか、それこそ、思い付き的なヒラメキも口に出来ない状況に子供を追いやるのは言語道断ですし、それほどに親の代が負う「責任」は避けられないのだなぁと、遠い中東の過去を見ながら痛感させられて。、地政学上の問題が、大きく影を落としますし。「友だちのうちはどこ?」の様な穏やかさとは、道を分つのです。

子供が「反対」するのを承知しているから、強面の下に「本心」を隠して善かれと決めた事をなそうとするのだろうけれど。ラミアにしてみれば、1日大騒ぎして、遠くの知らない街を駆け巡ったのに。まさか、「失うもの」まで出てくるなんて。ヒッチハイクで乗せてくれた、昔ちょい悪風なルックスのオジサンを偶然に捕まえていたのが、せめてもの救いというか。彼が居なかったら、目も当てられなかっただけに、お話上では「救い」の配役でした。

ご近所の幼馴染ザイード君とラミアが、二人一緒にいて時間を持て余すと、「どっちが、先にめをつむるか」と、にらめっこ的なお遊びを度々していて。顔を合わせながら、視界の相手を認めず「無」に徹するのが、そのごっこ遊びを制するポイントなのだろうけれど。大統領誕生日の教室で、席が隣のザイード君が、ラミアちゃんを力づけようと、それをするように持ちかけて。いろんな出来事が起きて、とても幼心には消化仕切れないものはかりなのに。表情を強張らせようと必死に堪えるラミアちゃんの表情から、どうしても「痛み」が共有されてしまって、こちらも切ない。オヤジ先生には、到底、それは目に入っていない。

監督が、郷土のロケに拘ったおかげでイラクのイメージも覆ったところもございました。どうしても、砂が舞う荒涼とした荒地を想像しがちなのですが。ラミアの生活圏は湿地帯で、水の配給場所から祖母と帰る時もそうですし、彼女が独り学校へ通う時もそうですが、長細い喫水の浅そうな木の小舟を漕いで通って。ラミア役の子も演技については経験ないそうですが、小舟扱いには慣れているみたいで、背筋強靭そうな。

そして、生活しているのが、藁で編んだ川面に浮かぶ家で。その中はただっ広いワンルームで、雄鶏は中で伸び伸びしているし。そこで、火を燃やして調理もすれば、宿題も机は無くて、床にノートを置き膝をついて覆いかぶさる感じて書き込みしていて、想像外の生活風景。

劇中の街の堂々巡りでも、大人のゲス加減も散見するなか、軍事政権下なのに、バンド風な大人達が喫茶店みたいなところでたむろして。その中の歌手の女性が、ラミアの手をとってひと時だけ、都会に出た「甲斐」を味合わせてくれるとか、気持ちを緩めてくれる箇所も幾つかございます。ずうっと、辛さを味合わせるのではなく、商業映画らしい語り口を備えているのでご安心を。やっぱり目を引くのは、ラミア役の子と連れ添って来た「相棒感」を出す雄鶏のヒンディ君のカメラ慣れ具合かな。

拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
シネプラザサントムーン シアター��にて
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