歳を重ねて、経年の披露蓄積に加え終日劇場へ出掛けられない状況もあって。
作品選択も「狙い撃ち」せざるを得ず、人生教訓的なものも弾かれて。なので、個人的主観に激しく片寄っておるので、ご承知おき下さい。
作品の中で、80年代を舞台にしたものがありましたが。
その頃を思うと、トレンド紹介の一端で提示されるこの年の週間興行成績に於いて、洋画が一本もランクインしていないとかあり得なかったのですが。
そんな状況を指し示したこの年のトピックが、ハリウッドの老舗製作会社ワーナー映画に纏わる話題で。日本の支社を閉めるとの発表に続いて、某配信大手への身売り契約が決まって。劇場で映画を見るという当たり前だった日常は、いずれ忘れられる昔話として記録される「行方」が決定付けられて、映画館の行く末にきっちりと暗い影を落としてくれました。
以前にはアメリカンジョークが通じなくてコメディーとかカルチャーギャップの強い一部ジャンル作が、全米興行1位作品が未公開スルーってパターンもありましたが。ワーナー映画は、自国で興収をあげた「罪人たち」と「Weapons」を一部の都市のみの公開に留めてしまって、我が街では姿かたちを現さずに、劇場スルーとしてくれました。共に、ホラー寄りで見られる自信が覚束ないのはさておき。「罪人たち」は、米国の音楽ルーツの探求も込められていると聴くと、多少のこけおどしも堪える覚悟があったのに。そして両作共、賞レースにエントリー出来る程のクオリティらしく、洋画不況による地方格差をネタまずには居られない。
そして何より、配信大手が映画館体験に全く執着しない経済効率主義立場から買収を押し進めるから許せない。都会の方は、ご自身を取り囲む劇場数から他人事かもしれませんが。そして、自分も、長年見続けて年齢割引に恩恵に預かれる身分になったとは言え、昨今の物価事情のうえに見入りの低下は避けられないので、何時までも劇場で見られないものと過ったりする。地元で運営する広域映画館チェーンは、駅前と郊外の2か所の商業施設にサイトを構えていたのだけれど。動員の頭打ちからだろうが、先に開設した駅前の劇場がこの春閉じられる事となりましたし。
なので、10本の選出には、映画館体験と見る人が選別される映画館ならではのいろんな意味で「特異な持ち味」を意識してみました。
ここで選んだ作品と選ばなかった作品総て過去の日記に詳しく書いております。
それでは、いつもながらのカウントダウンで紹介文と共に上げてみたので、お時間に余裕があればご覧くださいませ。
��「キノ・ライカ 小さな町の映画館」
このドキュメンタリーの製作は他の方が担っているけれど。アキ・カウリスマキ監督自身が、場所選びから大工仕事まで手掛けて設立に係れば、それを心待ちにする映画や音楽に親しむ市民の方達が居て。ツリ目してミスコンの優勝資格はく奪された女性もニュースになったけど、フィンランドの印象さらに上がる。映画館の行く末への危惧が高まった年だからこそ、留めておきたい。
��「アバター ファイヤー・アンド・アッシュ」
「エイリアン2」を送り出したばかりの頃に出かけた、当時存命の特殊撮影の右腕的存在S.ウインストン氏と共に「ターミネーター」と併せて撮影裏側を語る講演で感銘を受けたのもあって、ジェームス・キャメロン監督への思い入れも強かったりします。3Dグラスの直ぐ向う側に広がる「空間」の視覚体感は映画館だからこそ。更に磨きをかけて頂いて、メガネ無し3D技術の感性とそれを用いてのC.ノーランとは違う原爆に纏わる作品の実現を祈願します。
�─孱藤譯錚�」
話の発端である「大洪水」の場面だとか、劇伴とエフェクト音以外は「無音」の世界。聖林の巨大スタジオの先鋭システムではなく、誰もが扱えるソフトによる遺跡の尖塔が水面から突き出る洪水に沈む街を舟で浮浪する猫を始めとするありのままな動物たちの世界は、見ている我々もこの星に生かされている事に思いを馳せさせる力がありました。
�А屮好廛螢鵐哀好謄�ーン 孤独のハイウェイ」
予告編では、アカデミー賞有力候補とか煽っていたけど。いざ、フタを開けたら客席にはすき間風が吹いていたな。シャラメ君のディラン様も、確かに良かったけれど。音楽の方向性と花から花へと飛びまわって一人の相手に縛られないアーティストのカリスマ性よりも、世間が求めるロックスターの偶像と距離を置いて発信したい自分の表現を突き詰め、根無し草の男に惚れちゃいけねえとシングルマザーとの関係清算を自ら切り出す。表現者として、真摯にその道を進んだBossの姿に惹かれました。勿論、共に歩んだ親しみ深さも強かった。
�Α屮譽奪疋張Д奪撻螢鵝.咼�ミング」
全篇がステージでの演奏記録ではなく、ビートルズらの黎明期を経て多くのアーティストたちがシノギを削る中、ロック史に名を残したグループの結成からそれぞれの担当パートで技量の持ち主達が如何に彼らの「音」を醸成したのか。当時の音楽シーンの記録に若き彼らの映像と、それらを見て語る現在のメンバーの証言で構成する。誰もが耳にした有名曲は構成上出て来なくとも、使用曲は演奏を全部取入れて名を残すのも納得の名演奏が堪能できるうえに、ドキュメンタリーとしての「狙い」が絞られていた。一つの志しに集う者達が修練し積み上げていく様は、彼らを知らない人の心も打ったはず。知る人からお金を巻き上げる、特別料金設定は、世知辛い興行シーンは判るけど、一見さんお断りにも通じて間口を狭めてしまって勿体ない。
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本作を公開するにあたって、邦題の苦心が忍ばれます。原題「love lies bleeding」は、恋の喪失の意味合いで用いられるのに対して、アオハルものでも使えそうな前向き印象も受ける命名。地獄への釜口を連想させる意味ありショットから、80年代の古びたボディビルジムへの移動ショットは不安と刹那感を醸して、パルプフィクション風味な犯罪ものとしても良い雰囲気だったけど。クライマックスの、クリスティン・スチュアートが恋した女性ボディビルダーの「ハイパー化」による絵空風の描写が、好みを分けるのだろう。殺伐とした内容ながら、終わり尻の大らかな相手の世話を焼き続けそうなクリスティンの描写に愛する者達の「在り方」が見えて、マジョリティだろうがマイノリティだろうが、愛が「すべて」を示して気に入ってます。
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こちらもパルプフィクション(三文犯罪小説)的なお話ですが、キャストと予算の「格」の違いのうえに、何より猥雑的かつ滑稽さで緩急をつけて上映時間を喰うロングイニングイーターでありながら見る人を完全コントロール出来るP.T.アンターソン監督の巧みで骨太い剛腕が光る。
��「サブスタンス」
グリーンマットやキャプチャー用の全身タイツとかデジタル合成用ツール無用のアナログ手法と崖っぷちベテラン女優の捨て身の献身から出来上がった阿鼻叫喚の絵図が取り上げられがちですが。それに乗っかってルッキズムやハラスメントをぶっ壊すだとか世中の「空気」を一掃する攻撃性に加えて、美を求める主人公本人の虚栄や弱さも汲み取るバランスが素晴らしい。
�◆屮肇錺ぅ薀ぅ函ΕΕ�リアーズ 決戦!九龍城砦」
2025年中の作品との出会いの中、情報が無かった分衝撃がもっとも大きかった。見た後で、製作裏側の記事を読むと本編でもリスペクトを掲げた元ネタの80年代活劇が作られた頃から変わらぬ製作慣例を習って完成された脚本も無しに現場でその都度アレンジ加えて撮っているのに。主人公ら同世代の男たちが活劇シュチュエーションの中で、言葉も介さず絆が共有される場面は熱かった。続編、前日譚は、本作で不明瞭だった点を新たにする意味でアリかもしれないけど。本作の「熱」が損なわず発せ続けられるのか、かなり心配。
� �ANОRA アノーラ」
この年の大河ドラマ「べらぼう」でも、ドラマの始まり部分で舞台となる吉原の中に囚
われている女性たちが置かれた状況が放映1回目からギリギリを攻め込んだ描写を持って描かれましたけど。その頃から時代も場所も飛びに飛んで変わったと思いきや、置かれた立場が変わるどころか、経済や身分の違い、はたまた情報化が進んだお陰で相互の「愛情」の確認、確信に至るまでがますます隔絶され孤立が進んでしまって。劇中は、可笑しみがまぶされてはいるのだけれど、あの結末のシーンは簡潔にして鋭く刺さって、今もそのトゲは抜けていません。
この年の10本選出のシメ的な付け足し、オマケ。
・心残り
前述の通り、映像やお話の面白さに、興味あるスタッフ・キャストであるかが選択基準となっているので、人生訓的な正しく為になるお話だけに終わるものは、ほぼ見なくなっていて。なので、ガチガチなアート系、特に欧州作品と段々縁遠くなって。冒頭に書いた以外に、見逃し有ったのかもしれないけど、あまり、ピンと来ない。(リマスターによる再上映作では、幾つかあったけれど)そんな中、強いて言えばで。
「ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家」かな。ドキュメンタリーだけど。幾つか知っている有名な彼が産み出した曲の中で、「風のささやき」を、この作品でも証言しているらしいスティングが吹き込んだCDも持っていて馴染みのうえ、人物を知るうえでも見応えあるらしいと聴いたので。まあ、そもそもこっちに来なかったけど。
・気に留まった演者さんたち
マイキー・マディソンさん、マーガレット・クアリーさん、デミ・ムーアさん、ケイティ・オブライアンさん、クリステン・スチュワートさん
�´��イ�、この年の自分的なコア選出作品かなと定めていて。その内の一本は、ややひっそりしたものでしたが。上位2本は、賞レースにおける「品格」を問う向きもあって。その賛否は、お任せしますし反論とかはご容赦頂きたいとして。好奇な興味本位から申すつもりは皆無でありますが、作り手のテーマや主張の為に、ありのままの姿や嗜好をカメラの前に晒す事を厭わない気概に敬意を表すると共に、製作「風土」の違いを思い至らざるを得ず。
ショーン・ペン氏と新生チェイス・インフィニティーさん
ダメなパパと見応えある作品を後押しする原動力となる二人。いきなりの映画デビューで、キモイうえに大先輩性格俳優と相対さねばならないなんて。
ルイス・クー 九龍城砦の若い衆4人を導く「精神的支柱」、名刺代わりの燻らしていたタバコを宙に浮かせて、拳一閃で若造をのしての吸い殻キャッチから「一服」再開のケレン味120%の立ち回り痺れる。
・美術セット
次世代を背負う若い衆4人の戦いを引き立てた、もう一つの主役「九龍城」の再現。目隠しに使った8の字チョコとか、当時ならではの小道具含む。セットで「叉焼飯(チャーシューハン)」、見た人なら食したいでしょうな。
・劇中歌賞場面 再現
「孤独のハイウェイ」での「ボーン・イン・ザ・USA」 お話は、アルバム「ネブラスカ」の製作過程だけど、終始落ち着いた話の中、ここは熱くなった。
「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」での「ライク・ア・ローリングストーン」
今じゃポピュラーシーンもジャンルが細分化されて普通に享受してるけど。フォークソングを求めていた聴衆の戸惑う様子が伝わる「再現」でした。その頃を当然知らないシャラメ君が、毅然として新しい扉を開くモデルの説得力十分の表現。
・今後の「課題」
一昨年のハリウッドの俳優ストライキで、AI画像の作成使用を巡って中々解決が遅れてた記憶があったけど。それとは、また違う最新技術に関して。
少し前に、アンディ・サーキスさんが、「猿の惑星」で猿のシーザーを、全身タイツ着て、顔やら要点に動作を読み込むシールなんか貼り付けてデータ取って貰った上にデジタルのキャラクターを被せるモーションキャプチャー演技でもって。それが、結構説得力あったものだけど、「加工」されている分、実体全身を使った演技とは区分されてしまって。
「アバター」シリーズで、2作目から、監督と縁が強いシガーニー・ウィーバーさんが、役のうえで10代の現地人をモーションキャプチャーで演じていて。監督も、ベテランが果敢に挑戦していると褒め讃えるも、「表装」が邪魔をして、中々、評価が難しいし。今後、他の作品とかでも、入り込んで来るのだろうけど。生身の演技同様に、良し悪しを語られるようになるのだろうか。
ただ、S.ウィーバーさんとか、一昨年オスカー獲得したゾーイ・ソルタナさんは、キャリアの一本として「アバター」シリーズ出演も意義あるだろうけど、主人公ジェイクであるサム・ワーシントンさんの胸中には、「焦り」とかあるのや否か。
長々とした拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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