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2024年06月23日23:15

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「あんのこと」を見て。〜絶望の淵を覗き込まぬために、「繋がり」の網を懸け合わせて〜

今や過去の出来事になりつつある、コロナ感染による非常事態宣言下に起きた2020年東京で若い女性にまつわる痛ましい事件の記事から着想された本作。昔あったドイツ映画で、いけない薬に溺れてしまう「クリスチーネ・F」も想像させて、ドロップアウトしてしまった女性が迎える哀しい結末を、境遇や社会制度への同情や怒りへと転嫁させる事になるのかと、本作に臨む前は勝手に思い描いていたのだが。

確かに、政策を発令した体制側の総括もなかった性急なコロナ対応策が、微かな望みを断絶したのが「結末」を迎えた決定打に相違なく。そこに至る、親の無責任さ、浅はかさ。そして糾弾を逃れようのない大人の身勝手さは、許されるものでも無いし。ごく限られた人達の善意に立脚している故に、未曾有の出来事を乗り越えるには盤石とは言い難い支援体制の心細さ。1人の身に起きた事件の「背景」の指摘から、見る側の問題意識を喚起するのも製作意図にはあったでしょうけれど。

その為に悲劇性を高めた「結末」へと仕向けるのではなく、同情を誘う半生の裏には、それだけでは片付けられない個性や心持ちと言ったものが誰しも備わっている。生きている実感も乏しい過酷さの中、他者の善意からそれに気付かされて。断る事もできた「行きがかり」上の頼まれごとに無心で尽くして、自分には注がれなかった親代わりとしての愛情が、断絶された明日へと繋がれて。事件の評伝で終わるだろう、こちらの浅はかな推量など追いやる、作り手の「事件の当事者」に対しての真摯な姿勢と、絶望と孤立にあっても立ち消えぬ希望の一端を示して深い余韻を残す。

香川杏は、母親と祖母と団地で暮らす21歳の女性。昼間から酒を飲んで、自堕落に暮らす母親から虐待を受け12歳には、生活費稼ぎの為に売春を強いられる。小学生4年の頃には、学校に行かなくなり、体を任せるうちに、そのスジの客から麻薬を教え込まれていた。ホテルからの通報で警察に確保された杏は、ぶっきら棒な印象とは裏腹に日陰者に対して面倒見の良い刑事多々羅と出会う。多々良は、刑事の傍ら、足立区の麻薬中毒者支援団体の運営にも関わっていて、杏もその集まりに通う事となる。そこには、多々羅とも面識のある雑誌記者の桐野も顔をだしていて、ツテを持つ老人介護施設で杏を就業させる。

こうして、多々羅と桐野から支援を受けて杏は、社会人としての自立に向けて軌道に乗りかけてきたところ、自身とは全く関係の無い障害が立ち塞がって、初めて思い描いた「進む道」を断たれて、元の世界に追いやられる絶望と孤立に追いやられる。

これまで鑑賞機会のなかった入江悠監督作品を漸く、見る事となりました。脚本を兼任で、興味本位に主人公の歪んだ境遇や重ねた悪事を強調してみせる事なく、血縁の無い大人達と出逢ってからの杏がたどる「道のり」を淡々と見せて、演出でも特にこれみよがしな芝居の見せ場も作らず。しかし、商業映画らしく、展開が進んで観客側の杏への思い入れが強くなるにつれ、係わる周囲の人達の「影」が、彼女に重なったり遠ざけたりさせて、見守る側の胸中に緊張の糸が張られてスクリーンに引き付けられてしまう。

杏の自立に深く係る多々羅と桐野をそれぞれ、佐藤二朗さんと稲垣吾郎さんが演じられて。それぞれ見た通りのガサツさだとか慇懃無礼な第一印象を湛えつつも、御見人としての面倒見の良さと彼女が立ち直って行く様子に安堵を見せる大人としての「度量」を見せる一方、社会人としてなすべき使命への葛藤だとか、糾弾されるべき行いだとか弱さも抱えた、よく見る人達として、作品演出に応えている。

そして、何と言っても、河合優実さん演じる杏あっての本作。麻薬中毒者支援の集まりで、多々羅の叱咤激励の籠った講義で、薬に頼らずクリーンでいられた日に〇を記録するため、初任給をもってファンシーショップで手帳を手に取って、しばらく佇む「間」が、見る側の杏を思う気持ちをかき乱して。ただ、事実をなぞってみせるだけでなく、その時々の杏の状況や心持ち、勿論見た目もですが、しっかりと寄り添い役に入り込んで作品の主導を握っているかの巧者ぶりに最後まで引っ張られます。

拙文にお付き合い頂き、ありがとう御座います。
シネマサンシャイン沼津 シネマ6にて

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