ポスター等の宣伝画像や場面のスチール写真を見ての通り、砂漠の荒地で巨費を掛けたマシンの壊し合いと、その混沌とした修羅場での生存を賭けた対峙が見せ場のカークラッシュが「売り」である。それでもって、もう10年も経った前作は、西部劇で原住民の追手と目的地目指して突っ走る駅馬車の追走劇の攻防図式を没入感、臨場感タップリに魅せるうえ、その完成度からのカタルシス故に、絶叫マシンのようなアトラクションのライド的中毒性を喚起して、異常な「持ち上げられ様」だったけど。
サブタイトル的に添えられた、前作のカリスマ女戦士が、あの熱狂的前作での活躍を見せるまでの経緯を遡る本作の主旨から、単純な攻防劇とはいかず、頭から尻尾までアドレナリン分泌状態とはならないのではあるが。いずれにしても、門外漢には、イベント性の強いポップコーンムービーに写ってしまうのでしょうけれど。
世界の崩壊から45年後の水と燃料と弾薬を握る力有る者が割拠する世界で、EVやハイブリッドとかエコでか細い車ではなく、アクセルのひと踏みで相当の燃料を消費するのは間違いない、廃品に廃品を重ねたゴッツさが乗る者の「力」を誇示するカスタムカーの数々が、この作品の世界観の証しではある。それが、単なるデザインで終わるかのバカみたいに壊し合いで終わって単調にならないのは、まずは、その場面の見せ方にある。
地平の向こうまで何にもない荒地をロケ選定するのは、あくまで本作にとって「基礎」でしかないけれど。例えば、資源を入れて領土間を走る、前作からお馴染の二両編成の巨大タンクローリーを巡る資源の奪い合いの攻防にあって。横長の車両を画角一杯に収めるべくカメラが並走しつつ、左右上下からの追撃が、細かいカット割り無しで見られて。必然的に、手に汗はかいてしまうは、疾走する車両から振り落とされる演者の安全だとか「段取り」まで気が回りそうになりつつも、一つのシュチュエーションに張られる緊張感故に、全く「単調さ」を寄せ付けず。
そして、目に写る以外である「創造性」においてですが。登場人物の声での劇中ナレーションにあるけれど、「歴史が繰り返される」通り、戯画的に、単調でハッキリわかりやすい、粗暴で気まぐれでインテリジェンスも欠けている狂犬の如き悪党の支配図となっているけれど。権力者の砦内で、食料と水と引き換えに力無き下々の民は武力を持つ者に虐げられ、専制者の教えと薬で若者に命を差し出させる無謀行為に走らせる。アクションものとして成立するウラで世界的歴史的縮図を織り込んで、ジャーナリスティックな意匠でも賞レースにあがる作品にも劣らないし。ただ命がけの見せ場で目を引いているのではなく、状況に至る「背景」があって、このシリーズならでは強度の高さでもって一時の面白味消費で流されない。
タイトルロールのフュリオサは、年齢とか、契約とか、そして描くべき事の為に、シャーリーズ・セロンから、アニャ・テイラー=ジョイに切り替わって。左手義手の寡黙な隊長が、如何にして、棘の道を歩んだかの行先が定められた「通過点」を辿るのが今回の作品なので、逸脱出来ない分も、興奮を呼ぶ前作の様には行かない「足かせ」となっているのですが。
緑豊かな故郷から拉致されて15年、幼き彼女に「生きて、故郷に帰れ」と、生き残る事を鮮烈に植え付けた強き母。それゆえ、胸の内に燃え盛る復讐心。生殺与奪の権を握る男の下で、帰還と復讐の時を待つためにフュリオサが取る行動に身なりにもジェンダーの問題も伺えたりする傍ら、後に出会うマックスに似通ったいで立ちのジャックの間にも、恋愛感情なんか廃し多くを語らずとも胸に秘めた誓願への敬意と信頼も、過酷な世界を生き延びるための確かな「絆」が生じて、彼女のサバイバルの拠り所となって見る側を深く入り込ませる。
「スプライト」に「ラストナイト・イン・ソーホー」と、デビューの頃から名を成すに至るまで虐げられて来たアニャさんを見守ってきたので、あの目力溢れる瞳で憎き狂犬どもを見据え追い詰めて行く姿を追うにつけ増してゆく逞しさと共に感慨に浸りました。そして、このマッチョと思われがちな世界観に、男の愚かしさと、それをブッ飛ばす女性の凛々しさを魅せたジョージ・ミラー監督は、予告でも称される通り「偉大」さを見せつけたのでした。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございます。
シネマサンシャイン ららぽーと沼津 IMAX劇場
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