〜完全無欠な日々の年輪を重ねて、己の居場所という「幹」は強固で揺るぎない。けれど、隣の木々から忍び込まれる他者との重なりで生じる木漏れ日が作る陰影の如き感情が、たまに捉えて離さない。〜
国際的な評価を得る場には、ドメスティックなもの、すなわち出品する「自国の事」を掘り下げた方が良いとの定説を昔聴いたけれど。東京都内の公園等に敷地内の公衆トイレの掃除を生業とする男の朝から晩までの生活サイクルの描写が「軸」になっていて。同じ国の観客なれば、様式や習慣に馴染みの分理解はついて行けるけれど。とくに、主人公が、作品の中でも指摘されるほどの「無口」なのもあって、前半の辺りなど、外国の方には訴えるものがあったのか、心配がもたげるほどではありましたが。
ただ、「生活サイクル」を追うだけでは日本人でも耐えがたいですが、日々が経過するうえで、男が何者であるのか、そして商業映画として、男の趣味嗜好に絡めての創意や企みが施されているので、物語の顛末からきっかりとした「落とし前」で溜飲を下げたい方以外でしたら、国籍、年齢、性別問わず、この一人の男の生活周辺記から、大いに思い当たる部分や得られるものがありますし。何より、カンヌで男優賞の栄誉に浴した役所広司さんの全世界的な力量を、あらためて知らしめられる事でしょう。
世界的名優が扮する平山という男は、トイレ掃除の仕事はもちろん、朝の目覚めから身支度、掃除遂行の為に軽のワゴン車内にハンドメイドで仕切り棚を作り込んで準備万端整え、トイレが使用中でも、迷子を保護し母に引渡して一言の礼が無くとも感情を乱さずその場をやり過ごし、1件1件確実に掃除を行き届かせる。勤務後や、休日の過ごし方も、課せられた「日課」を、雨風や、他者に遮られる事なしにこなして、床につくと古本屋の格安ワゴンから選んだ文庫本を開いて、寝落ちをもって一日を終える。
それでは、ただノルマを消化する生活に受け取られるけれど、それに「彩り」を加えるのが、軽ワゴンに設えた収納に仕舞ったカセットテープコレクションから、気分のままに選曲したアルバムを流し、車窓から見える風景に被さる1960年代から70年代の若い衆には新鮮に聴こえるブルースやロックの洋楽。そして、お昼休みに訪れる神社間際の公園のベンチから見上げる樹々の木漏れ日をフィルムカメラで、備忘録風に気の向くまま切り取る写真画像。音楽も画像共、特に自分や他人を語らない平山の心象表現として、アクセントをもたらし、展開に連れて無口な男への共感の糸口を示す働きを果たす。
平山という男自体、特に人間嫌いで極端に世間との繋がりを断つ姿勢には見受けず。でも、仕事帰りの銭湯へは、湯船に顔半分潜っても汚れていない「一番湯」目当てで出掛けるし、浅草の地下鉄改札前に設えられた、お決まりの席に座れば、甲本雅裕さん扮する居酒屋の大将が、「おつかれ」の一言と共に、何時ものお酒と一皿が言わずとも出て来る。全く取るに足らない事ではあるのだけれど、平山自身が、「快い」と思う事で、コントロールするのが「完璧な日々」を送る狙いがある様にも取れる。
「小津安二郎作品」への傾倒で知られるヴィム・ベンダース監督です。だからと云ってこれ見よがしな、巨匠への「献辞」を表したりはされておりませんが。先の意匠を込めつつも、異国の細やかな日常を取りたてて誇張することなく、所々、平山のアパートの空間や所作の捉え方に「おもむき」が覗いて、心地の良い進行に徹しています。突然の姪の来訪を境として、巨匠が多く手掛ける題材であり、誰も逃れられない家族の存在が、完璧な日々に影を差して動揺も覗かせる。それに関して作品の中では、蓋をしたい過去の経緯があったのだろう位の推測しか出来ない。
また一方で、完璧な日々がもたらす「平穏」を壊す想定外の出来事に、行き付けの店で出くわすのだけれど。それまで全く見もしなかった男との「ひと時」に、無自覚だった平山自身の楽観的なものの見方、肯定感に気づかせられて。その時、夜の隅田川べりで、街灯のもと役所さんと男役の三浦友和さんのいい歳した二人が、ほろ酔い加減で影踏み遊びに興じる姿も、良い画でした。その初めて会った男の元妻である、行き付けの飲み屋の女将に扮して、「朝日のあたる家」の一節を聴かせる石川さゆりさんだとか、平山の生活範囲で係わる名も無い人達に、我々日本の観客には割と馴染みで、かつ適材的な方達を配して何気なく日常を写し撮っているテイでありながら、手の込み様を感じます。
何より、極東の大都会の良い具合に自然と人工物が込み入った環境に暮らす、地球上何処にでも居そうな中高年の男に徹して、これ見よがしな芝居どころもないのに、日々の生活を送る内に他者との関係から生じる気負いや歓びといった胸の内の感情を覗かせる役所広司さんの登場人物を肉付ける「技量」が、監督の期待に応えて作品の訴求力を高めている。想像するに、セリフがあまりなく、殆ど状況を説明するト書きが多い脚本を与えられていただろうに。あの、軽バンを運転するバストショットの長回しで、何も語らず表情だけを晒し続けて。例によって、カセットテープからの音楽だけで、数十秒に渡って映る表情の動きから、見る者各々が読み取れる彼の心境を長回しの効果で高めると共に、監督に作品の成立を託されて受けて立てる演者としての凄みを目の当たりにしたのです。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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