昔、バンドを組んでいたとか、ギター小僧だったとか、全く関係の無く。自分は、ジャンル雑食で、軽薄な「音好き」に過ぎないけど。クラプトンについては、ボヤっと「点」で知り得ていた事はあったけれど、2019年にドキュメンタリー「エリック・クラプトン 12小節の人生」を見て、それらが繋がり一本の「線」となりました。
誰にも何かしらの「歴史」はあれど、アーティストとしての技巧と合わせて、音楽史に残る楽曲の創作は、秘されねばならなかった想いから火が付いたのが公然とされていて。商業音楽という面で、それをバネに第一線に留まるというのは、私生活の「浸食」という辛い面もあるけれど、長きに渡る支持を経ての聴衆からの共感や共鳴というのは、特出した表現者だからこそ得られる特権なのだなぁと、本作を見て、あらためて思う。
ロンドンにロイヤル・アルバート・ホールという会場があって。円形の建物で2〜3階に分かれた客席が積み重なったその下に舞台があって、そこから仰ぎみる画像は、円柱に掘り下げられた様な劇場です。1991年の2〜3月に行われた24回のコンサートで、通常のバンド形式の回、彼のルーツであるブルースギタープレイヤーを集めた回、そしてロイヤル・フィル・ハーモニー・オーケストラと共演した回それぞれから厳選されたコンサート記録なのだ。
バンド形式のステージでは、80年代МTV全盛期に一見残念な見た目に関わらずソロヒットを連発したフィル・コリンズも、バックバンドの一員としてドラムに徹し、「ノッキングオン・ヘブンズドア」では、主役の脇に並んだ他のメンバーと共にコーラスを聴かせて。その前の「アイ・ショット・ザ・シェリフ」が、各メンバーがフルに盛り立てる様子が挿入されているのと併せると演奏の硬軟メリハリを付けて、バンドの面々が主役のサポートに徹して、安定した馴染みの音が堪能できる。
それとは対照的に、ブルース編では、ベテラン黒人プレーヤーを立てるべくクラプトンが、一歩後に引くような感じにステージに居て。気を良くされたのか大先輩は、「何時間も弾いていられる」とか聴衆にこぼされる。互いへの敬愛の気持ちで、ステージの空気が、程良く和んでいる。
時折、ステージ上の演奏者らのショットと「神様」クラプトンのギターの運指にフォーカスとした画像の左右2分割になる。ギターの演奏の心得は無いけれど、最近原作を読み始めた「BlueGiant」で、主人公を指南するサキソフォンの師匠が語る、プレーヤー内面の表現意欲と外面の楽器テクニックが結ばれた実例が、目の前のスクリーンの画面片側にあって、それでもって、ステージの演奏は「動く」様子も残り半分に写される。ジャズとはジャンルは違うけれど、聴衆を振るわせる「音」が届くのを、視聴覚体感させて貰いました。
また、歌詞についても、しっかり日本語字幕に起こされていまして。思い焦がれたパティ・ボイドさんと、いよいよ生活を一にして発表した「ワンダフルトゥナイト」。究極の「嫁」自慢の歌だと認識していたけれど。「愛している気持ちは、自分にしか判らないのかも」みたいなのが挟まれていて。完全オノロケの内容かと思っていたのに、どこか、疑念みたいなものが挟まっていて。その後の「将来」の予見も含んでいたのかとか、ゲスの勘繰りもしたりして。
感想が、下世話な方に逸れましたが。作品の開始冒頭で、オーケストラの回で、クラプトンらがステージに登場する際、先に待ち構えるオーケストラが、「レイラ」の後半コーダの部分をギター無しの演奏で登壇を出迎える。座長だからと云えば、まあ、それまでなのだけれど。70年代から、波乱にとんだアーティスト活動を称えるムードに、冒頭から溢れていて。本編のクライマックスには、当然、「レイラ」が据えられていて。オーケストラ回、ロイヤルフィルとの華々しいアレンジに包まれた仕様となっている。
許されない恋に跪いて乞う、箔が付いた男だからサマになる曲で、心からの叫びとばかりかき鳴らすギターのフレーズで、ステージを見下ろす階上の客席では、歌詞を知ってか、知らずか若い娘が肩を揺らしメロディーに身を委ねていて。時の流れが、曲が抱えた「痛み」を癒したのか忘れさせたか。それを歌う当人は、もう何度とプレイする内に、ルーティンとなっているのかなんては、更に判りかねるけれど。ともかく、時代を経ても鳴り続ける名曲が、ホールに引き寄せる「磁場」を創り出す。
「レイラ」のコーダのパートになると、ギタリストを囲むフィルハーモニーの面々が立ち上がって来るのだけれど、圧倒的な人員数で凌駕するのではなくギタープレイと並走する感じで、当然だけど主役を立てる。それが、70年代以降から、その日に至る栄光はもちろん、挫折も何も、厚みあるオーケストラで包み込んで祝福するかに聴こえるのは、贔屓目と贔屓耳がなせるものでは無い筈。
クラプトンのすぐそばで、タクトを振るうマイケル・ケイメンの目線や、空いた左手の仕草を見ると、ギタリストへのうやうやし過ぎる気遣いとも見て取れたけれど。後々、考えたら年代的には、「リーサルウェポン」でこの二人は劇伴を手掛けられた後のステージになる訳で。当然、互いの「勝手」は知り得たうえで、このステージに繋がっているのだから、持ち味の打ち消し合いに繋がる筈は無くて。正直、本編見る前にこのパートを危惧していたけれど、杞憂でした。
ともかく、この公演の時間の隔たりはあるけれど、実際に来日コンサートへ出掛ける事を考えると、手ごろに体感できて有難い上映でした。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネマサンシャイン沼津 シネマ3にて
参考「エリック・クラプトン 12小節の人生」感想日記
↓
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970237076&owner_id=20808806
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