■体罰の再発防止中にまた体罰 中学校教諭を懲戒処分「二度としない」
(朝日新聞デジタル - 09月28日 08:21)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=7127094
格闘技(剣道)をやっていた者からすると、体罰と言うものは、ちょっと違った認識になるかもしれない。
体罰と言うのはい稽古中にしょっちゅう受けているもので、「打って反省、打たれて感謝」(一本とれても今の打ち方で本当に勝って打てたと言えるかと反省し、打たれた場合は、自分の足りない点を指摘してもらったと考えて感謝する)という体罰を繰り返しているからだ。
しかしそれは、互角に打ち合える相手だからの話。
また、かかり稽古というのがある。
決まった時間、元立ちにひたすらかかっていく稽古なのだが、これは闘争心を養うためのもの。
戦時中、特攻に行って、機械の故障などで生還した特攻隊員たちが、毎日殴られ、罵倒されたのも、理不尽な仕打ちの怒りを敵に向けさせるためだったのだろう。
ぶっそうな気持ちだが、これがないと戦えない。
かつて、礼儀を学ぼうと思って入門してきた女性がいて、面打ちをするのでもなるべく当てないようにしている。
「もっと強く打って」と言っても「人を叩いちゃいけないんだよ」という。
これでは格闘技はできないのだ。
だから、体罰全般を否定するつもりはない。
しかし、度を過ぎたものや力関係がはっきりしているのに、弱いものを一方的に力で従わせるのは、どうかと思う。
もしそれをするのなら、結果を必ず出すことだ。
出せなければ、暴力を振るわれた方ではなく、振るった方が責任を取らなければならない。
心身にわたって怪我をさせたら、生涯その怪我の治療にあたる覚悟。結果が出せなかったら、責任を取って指導者を辞める覚悟。社会的非難を受けたら、指導した連中をかばって、盾になる覚悟。少なくとも、このくらいの覚悟はした上で、体罰をして欲しい。
そうでなければ、無能な指導者の苦し紛れの暴力として糾弾されて然るべきだろう。
私は元々、大会に出て優勝することを目的にするような部活には反対だ。
精進努力した結果として勝利をつかむならいい。しかし、金メダルが欲しくて、他の全てを犠牲にし、理不尽さに耐えるなどというのは、とうてい容認できない。
良い指導者とは、試合に勝てるチームをつくれる者ではなく、生徒一人一人がやるべきことを自覚させられる者だと思っている。
おまえはいい指導者だったのかと反問されるかもしれない。
私は、やむを得ず数人を指導したことがあるだけで、指導者ではなかった。
剣道では、言うだけでなく、体が使えてこそ人も動く。
所詮は隠居の独言。
馬耳東風と聞き流していただきたい。
秋風の行き着く先や苔骸(むくろ)
ログインしてコメントを確認・投稿する