(いつも通りに長文なので、それを承知でお目通し願います。)
シュチュエーションから受け取られる印象を超えて、「けなし」ではなく、いい意味での「心地よい」緩さをまとった作品。ガッチガチな、バイオレンスやサスペンスを求めると、肩透かしになるけれど。日々に息詰まりを感じる方が、悪党たちが生き残りを賭けて、高速列車の中と云う、普通の人も相席する衆目下で行動も限られて、英語圏とは違うストレンジな舞台で、生じるズレによる可笑しみに、自然と口元から緩みます。
弾丸列車が辿り着く先には、原作者の母国では、決して表現される事のない、大風呂敷を開いたかの、詰め込んだものを、瞬時に解き放つ、ハリウッドらしい豪快で振り切った見せ方が待っていて。一時、脳みそに纏わりついた煩わしさを、振り払ってくれる事請け合い。
ブラッド・ピットさんが、スターのスタント役を演じてオスカーゲットした作品内では、表の顔のデカプーさんに従っていましたが。本作の監督デビッド・リーチさんは、過去に、ブラピ様のスタントを勤めていて。本作へのピット様の出馬には、スタッフの頂点に立った、かつての相棒への出世祝い的な意味合いが、まず、あって。それでもって、このパンデミックで、暗く沈む観客へ向けて贈るべく、何より、活動停止を余儀なくされた映画の作り手を呼び戻す大義もあって。そんな、長きに渡る友情や、多数のスタッフへの信頼の証しとして、また、離れかけた観客を繋ぎとめる使命が課せられた作品の題材に、海外で出回ったとは思えない、我が国のクライム小説が、その原作に選ばれたのには、驚いたものです。
映像化の一報が届いた時には、一瞬、歓びもすれども、出来上がりを見届けるまで、原作を愛読した身としては、プロット登用だけで、改悪される不安を払いのけるのは、難しかった。
しかし、先述の安易な製作背景の想像を綴りましたが、信頼と真摯な作り手の姿勢と、息のつまる世界の空気を和らげるために、原作の要素を巧く掬い取り、尚且つ、全世界に通じる映画作品のスケールに見合った、膨らませ方が施されていて。原作への「敬意」が伺えて、作り手の意図通り、気持ちよく見届けられました。
ブラピ様の主演だから、舞台は、米国の鉄道になるのだろうと、最初は思ったものだけど。ビルの屋上から息子を突き落とされた、アル中で元殺し屋の木村と、途中乗車してくる父親は、日本人のままだけど、それ以外の登場人物は、総て、外国人。映る駅も、東京、京都はじめ、馴染みの地名が出て来るけれど、そんなメンツが一堂に会する、高速列車。あくまでも、想像上のアジア都市と捉えた方が、作品世界に入り込めます。
人種変更は、勿論。一部キャラクターの性別変更に、統合があったりして、その点で、見るまで不満も抱いたものだけれど。多種な人種を、アジアの片隅で、夜中から朝方まで、ダイヤ通り正確に、高速で走る車内に呼び寄せる為に、大悪党を据えて、各人にソイツにまつわる「運命」として、異国で乗り合わせる理由付けが、されていて。
原作では、ブラピ様演じる、レディバグ(天道虫)はじめ、乗客たち夫々の主観で語られる章仕立てで、進行して。乗り合わせて、たまたま顔を合わせる人間たちの交差に生じるズレに、スリルやサスペンスが生まれ、気概や矜持をのぞかせる。
小説での「主観」で創り上げられる作品世界は、そこから得られる溜飲の下げ具合も、読者次第だけど、誰の目に映ってもスカっとさせるためには、日本の新幹線には、絶対、起こり得ないスペクタクルを用意しなければならないし、世界に通用させるためには、弾丸列車は、軌道を外さないと。なので、日本のようで、日本でない舞台設定になり、運命で手繰り寄せられたクセ者達は、狭い車内で、爆発の起爆になるまで、疑いや災難の不運を、ギリギリまで、こじらせ、反発のエネルギーを蓄える。
映像化仕様に、整理統合されたキャラクターの内、誘拐されて奪還した大ボスの息子と、用意された身代金を終着駅まで護送するミッションを命じられた、タンジェリンとレモンの業界で名を馳せる二人組が居りますが。その内のレモンが、原作者伊坂幸太郎作品で、お馴染の、大雑把で、ヘンに弁が立つ男で、何かと機関車トーマスのキャラに絡めて喋る、おおむね原作設定を引き継いでいて。原作では、「死んでも、生き返る男」だと、デカイ口を叩いて、エピローグで、戦い合った天道虫が、それまでの悪運を晴らすかと思うその時に、まさかの出来事として、実践される件があったりするのだけど。
そんなレモンの心意気が、映画版では、コメディーリリーフ的な見せ場として、くたばり損ないブリが再現されていて、登場人物の映像への汲み取り方にも、原作へのリスペクトが感じられました。
木村の父親エルダー役で、仕込み刀を使った殺陣でも、「格」の違いを見せつけた真田広之さんが、高速列車での数々の災難の元凶である大ボスに、残った者たちを束ねて、立ち向かうその時に、漢文由来風のもっともな「格言」を、戦意を上げようと放つけれど。独立独歩で生き延びた若い奴らには、全く響かず、「例えが、悪い」と、反発する映画オリジナルの場面があって。大立ち回りを前にした、噛み合わなさに、一時、緩まされます。
どうってことない場面だけれど、汚れ仕事をして来た奴らなので、互いに、「恨み」を買う事もしていて、許しがたい間柄ではある。けれど、とりあえず、「目の前の困難を前に、一時遺恨は捨てる」姿勢を示すのは、本作を見る、コロナ禍を生きる我々に向けた、作り手の、原作から発想の現われと、受け取りました。
更に、勘違いの非難を覚悟で綴ると、今の御時世との対比で、ブラピの呼び名レディバグ(天道虫)が、不運を「黒星」として、背中にしょって、羽ばたく虫と云われていて。新幹線の運行上、絶対あり得ない、視覚効果をフルに使ったスペクタクル場面。車中で、まさに、レディバグは、空中に浮かび上がって飛んでいます。乗り合わせた奴らの運命と併せて、パンデミックでの我々の「憂さ」まで、背負ったフライングのようにも、受け取れました。
原作同様に、キャラクター主観の回想が、時折、挿入されますけれど。時制が戻ってしまって、若干、作品進行のリズムを、乱している感もあったりしたけれど。原作への敬意に免じて、まあ、目をつぶりましょう。
ソニーピクチャー作品と云う事で、系列のレコード会社所属の日本人アーティストも新曲を、提供していて。「犬王」で、幅広い年代の役柄を声でこなし、本業の歌でも、いろんな曲を聴かせて活躍していたアブちゃんが、カバー曲「Stayin' Alive」を吹き込んでいて。冒頭のブラピが、東京駅まで闊歩する場面で、日本語のソラミミ翻訳詞も相まって、日本風ワンダーランドでの活躍への期待への高まりを加速させます。奥田民生さんの「Kill Me Pretty」は、正統的英語詞のハードロックで、ハリウッド映画仕様の、尖った仕上がりで、アクションを煽っていました。
フィクション度が濃い日本を舞台にしているので、他に、思いもしない日本の既成曲が、フューチャーされていて。そのうち一曲は、どうしても、大映ドラマを連想してしまって。列車のドアが開くと、山下真司さんが、悪党の頬を引っ叩きに出て来るんじゃないかと、過ったりしましたが。あれば、多分、真田広之さんの、愛称から来た選曲でもって、敬意を表したのかなと。
ともあれ、ゴジラとかキャラクターものでも無く、漫画・アニメでもない、村上春樹先生のとも違う、日本のエンタテインメント小説が、ハリウッドのA級キャストで実写化されたうえに、作品の製作意義と共に興行成績を上げられた実績は、また、新たな影響を、もたらす予感がします。
伊坂幸太郎さんの著作も、映画化が決まる1年前から、海外での売出しからの今回の映像化に漕ぎつけたとの事で、また、別作品が取り上げられる期待も高まります。本作に続く、殺し屋シリーズの「AX(アックス)」を取り上げたら、膨らませようでは、感動を呼ぶ父子ドラマに仕立てられそうで、オスカーも狙えるのではないでしょうか。なんてね。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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