mixiユーザー(id:20808806)

2022年03月13日22:59

244 view

「ジギー・スターダスト」を見て。〜映像で、時を遡る。架空のロックスターの「変化」の煽動は、止まない〜

本作と先日見た「ザ・ビートルズ Get Back」に、去年見たライブ・ドキュメントも含めると、60年代終わりから70年代の音楽シーンはもとより、被写体のアーティストを囲む関係者や、聴衆を通じて、時代の「うつろい」だとか、「空気」の変わり様が繋がって見えて。

そんな見た作品群を思い返すと、時間の隔たりによる、あの頃ならではとか、「古さ」を認めるのではなく、川の上流から下流に行きつく如き時の流れというか。つまりは、作品に収められたサウンドに、アーティストの在り方や表現が、「みなもと」となって、今、生きている時間に至っているのだと、繋がりに感慨が深まって。懐古にひたるどころか、スクリーンから映るパフォーマンンスが、見ている我々をたらしめているとまで、本作はじめ、「映像記録」に、大げさだけど、思い込みを強くして。

アーティストのライブ・ドキュメント映画は、モデルに関心なければ、なかなか食指も動かないでしょうけど。前述した入れ込みぶりは、5年前のデビッド・ボウイの大回顧展を見たのに因るのだ。その中でも、国営放送の番組で、「スターマン(Starman)」を歌った録画映像を、纏っていた衣装と自筆の歌詞を書き留めたノートが傍に備えられたモニターでもって、目の当たりにした時のインパクトが、今も尾を引いている。

文字数省くべく、ざっくり書くと、「スターマン」は、オーソン・ウェルズによる「火星人襲来」のラジオ(ドラマ)放送と、ハーメルンの笛吹き男の要素を汲んでいて。地上には居ない存在が、宙の上から、親たち世代には理解できないサウンドで、子供達の凝り固まった頭をブッ飛ばすほどに踊らされるぜって、「伝え聴き」のような内容を、全国放送の電波に乗せて、中性的な全身スーツ姿で歌う映像が流れた訳で。男らしさとか、凝り固まった因習から解き放って、自分で居る事の「自由」を、苦情必至の姿を、英国中のTVで見せた、揺るぎないアーティストとしての姿に、回顧展の会場で、心打たれた訳です。

この映画本編は、先の国営放送出演後、世界ツアーの締めくくり1973年母国での最終公演を収めたもの。火星の蜘蛛と命名されたバンドを従えた、想像上のロックスター、ジギー・スターダストの隆盛と終焉を構成したアルバムが、基調のステージとなっている。

上映時間90分と、今の感覚からしたらタイトにまとめられて、開演前のチケット売り場に並んだ列や、演奏中ステージに食い入る観客と、短いカット挿入ながら、実在したカリスマを取り囲む熱気が写り込んで。それと対照的に、ステージに上がる主役らが、顔に化粧を施し、奇抜な衣装に着替える楽屋の様子は、スタッフや来客者が喋る以外は、外の熱さとは一線を画した雰囲気。ただ、狭い部屋の中、タバコの紫煙の立ち昇り加減は、今の感覚からは、あり得ない光景だけど。

それら以外は、当然、ステージのパフォーマンスを収めた映像が、中心となる。カメラの台数が少ないのか、バンドメンバーの演奏の様子を捉えていたカメラが、ステージ左端から戻って来た「主役」側へと振られる。曲の間も、割と、画角が固定されているし、画質も、修復は計られてはいるのかもしれないけれど、先日の鮮明だった「Get Back」に比べると、「くすみ」が、拭いきれて無くて。でも、当時の「空気」の共有としての計らいと見做してしえる位の許容範囲でしょう。

アルバムには収められている「スターマン」が、実際演奏しなかったのかは、定かじゃないけれど、この本編に納まってないのが残念。それはさておき、名声を得て、飛ぶ鳥の勢いそのままの、デビッド・ボウイが、見る者の属性関係なく、惹き付ける。歌や演奏でのステージアクトではもちろん、男性としてのギラツキを艶消しするかの化粧に、ガウンの膝上から上を切った衣装に、生脚をのぞかせて。今や、音楽のジャンルにもメイクで見せる「ビジュアル系」と冠するのがあって容認されているし、80年代以降、ミュージックビデオの時代に入れば、セクシャリティを強調した「いかがわしさ」を打ち出すのもウリの一手となっている。

先に紹介した国営放送の番組然り、そしてこの、ステージでの表現から、許し難い年配層からは、「女性的」と見做されていましたが、表現者にとって「中性」の存在として提示されて、少しでも、それに魅入ってしまうと、「性差」で隔てて認識する事に、囚われ過ぎてはいないかと。やはり、常識という物差しで測ってしまうと、異端と見做されますが、相手や、周囲を「受け入れる」という本質を、日頃、見失っているのではないかとさえ、発想を飛ばしてしまったりもして。

本編の中で披露されているナンバーの中で、「スペース・オディティ」が、あるのですが。
「スターマン」と並んで、多くの劇映画でも挿入歌として使用されている、ボウィの中でも大好きな曲のひとつです。

もう、既にここまで字数を喰っていますが、ここでも、ざっくりした曲説明をしますと。宇宙空間で任務中のトム少佐と、地上の管制塔のやり取りを歌にしたものですが、家族が居て、宇宙飛行の国家事業を背負った、責任と栄光を背負った少佐なのに、宇宙の美しさに魅入られたのか、何かの闇にハマったのか、交信を中断して、船を出て宇宙空間に、生身で踏み出して行ってしまうのですね。

「グランブルー」に出て来る、潜水競技者のジャック・マイヨールを彷彿とさせる、人物像。他人からすれば、身勝手この上ないでしょうけれど、何かにとりつかれた「自己」に、焦点をあてたナンバーです。それを、聴衆の前で、披露するボウィを見られただけで、もう、充分、切符のモトは取れました。

ロックが全盛となった音楽シーンで、パフォーマンスもそうですし、楽曲自体も、受け入れやすいものが求められる中、騒がしい、いかがわしいとされる表現手段を使って、ヒトの内面に切り込んでいった、デビッド・ボウイが、躍動する姿を目の当たりに出来て、何と、有難い90分だったでしょう。

でも、「ジギー・スターダスト」という、ロックスターになり切って見せるという趣旨のステージで、勿論、聴かせる音は、本人自身によるものですが、虚構として、引いてみせるところに、聴衆側にも、「余地」があって。この辺りも、時間を経ても、受け取る側が、思いを馳せられて、作品が、廃れないところでしょう。

デビッド・ボウイが、パントマイムを見せるのも確認できたし、「出火吐暴威」と当て字した、山本寛斎さんが手掛けた、歌舞伎の早変わりの為の「中抜き」仕様になったツナギの様なコスチューム姿も見られたし。それら、衣装替えで、主役が、舞台裏に引っ込む間を持たせるための、ミック・ロンソンによるギターソロプレイも、聴かせてくれました。

本編で歌われるナンバーの「チェンジズ」で、自分の個性に向き合って変化しろ、時が僕を変えると、サビで繰り返されます。その後を、僕は時をさかのぼれないと、歌詞では締めくくられます。でも、この映画が、残される限り、この1973年指定ですが、何時でも、さかのぼれて、その度、クールにジギーに成りきる彼を見て、胸の内で、熱く高鳴らすのだろう。

拙文にお付き合い頂き、有難う御座います。
ジョイランド三島 cinema5にて

5 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年03月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031