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2021年12月30日01:14

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「ラストナイト・イン・ソーホー」を見て。〜お嬢さん、気をつけて。60ティーズのナンバーが誘う、あの頃のソーホーは、夢み心地にさせて、牙を剥く。〜

音楽は、感情を引き出して、目前に広がる光景を強く結びつける。

監督の盟友サイモン・ペグとニック・フロストらと結託して撮った、ゾンビもの、刑事もの、終末SFものにオマージュを捧げた「コルネット三部作」のうち、とりわけ「ショーン・オブ・ザ・デッド」と「ワールズ・エンド」にあっては、ロックの既成曲の劇中使用や、本編中での「話題」としての取り込み方でも、見た人の多くに「痕跡」を残しました。

そして、エドガー・ライト監督が、盟友たちとの共闘に区切りを付け撮りあげた、前作「ベイビードライバー」では、ロックはじめ、R&B、ジャズ等々、多ジャンルの音楽を、主人公の青年がドライビングテクニックを覚醒させる「みなもと」として、全編にフィーチャーして、クライムアクションを、音楽劇の要素も取り入れて、作品の面白さと作り手の趣味性を両立させたのです。

前作までは、自分の好みに固執して、意固地な、オタク気質な男性の「世界観」の彩りとして既成音楽が使われて来た。この最新作では、キャラクターが目指す将来像や音楽の趣味に於いて、凝り固まり具合は、これまでの監督作品の男性登場人物と同様ですが。ただ、登場人物の胸の内を、代弁させる歌詞が盛り込まれた曲を、添えるみたいな分かり易い作為は、本作には、御座いません。

例えば、将来の夢を追いかけて田舎から都会にやって来た、井の中の蛙に等しい女の子が、乱されたくない内面に土足で踏み込む同性の同級生に対して抱く嫌悪と自己防衛から、心閉ざしてうずくまる学生寮の部屋の片隅で。はたまた、憧れていたファッションのルーツである良き時代の光景に触れ、志を持って都会に出て来た歳の近い同性の存在を知った、ナイトクラブのホールで。

それぞれ主人公の女の子が、置かれた環境や広がる光景と、そこに居て沸き上がる感情を、彼女の好みである60年代当時のナンバーが結びつける。使われる既成曲は、主人公の次第に増してゆく切迫感や、予断を許さない展開と絶妙に絡んで、エドガー・ライト監督独自のカラーは、作品を重ねて更に、色濃くなりました。

ファッションデザイナーを志望するエロイーズは、衣装専門学校への入学が決まり、育ての親である祖母から引き継いだ60年代のレコード盤とプレイャーを衣装鞄に押し込んで、田舎町からロンドンに上京する。その初日に、奔放な学生寮の同居の学生の振る舞いに我慢ならなくなったエロイーズは、歓楽街ソーホーに自分好みの古びたアパートを見つけて居を移す。

センシティブなエロイーズが床に就くと、夢の中で、彼女は60年代のネオン輝くソーホーの街並みを散策し、目に留まったカフェドパリと云う舞台で歌手が歌うクラブに入って行く。そこで、出会ったのは、歌手志望の若い女性サンディであった。自分好みのドレスを、しなやかな肢体にまとい、華やかで、颯爽としていて、何より歌への情熱にあふれたサンディに魅入られたエロイーズは、毎夜、夢の中の60年代のソーホーに忍び入り、歓楽街ならではのロマンスの高揚感を味わいながら、自身の目指す道を突き進むサンディへの入れ込みを強くしていくのだが。その当時の歓楽街での「遊び」を嗜む大人の男たちの言いなりにさせられるサンディに、不運が降りかかるのを予見したエロイーズ自身の情緒も乱れて、普段の生活でも、感情や行動に揺れが生じはじめて、支障をきたし始める。果たして、エロイーズは、サンディの暗い将来の訪れをくい止めて、そして自分自身も救う事が出来るのか。

本作の製作のニュースを聴いてから、見られるまで指折り数えて来た訳ですが。冒頭に書いた、音楽と、人物の感情と場所(場面)の結びつきを象徴する場面、つまり、現代の女の子が、60年代当時の女の子と作品展開の中で、シンクロする場面の完成具合に見入ることが出来た至福の数分間だけで、公開を待った甲斐があったというものです。

現代と60年代の行き来を描くのに、例えばビジュアルを総て組み立てられるアニメーションなら簡単だけれど。違う年代の同調、シンクロを実写で見せるところに、絵画とも違う、物語の展開やら音楽に美術、演者のパフォーマンスとか総動員した多次元の表現の一旦が覗けて、さもない事かもしれませんが、私には、ビジュアルで主人公が抱いたであろう「ざわつき」を共有したのです。それ位に、映画ならではの「画」が、成り立っている。

地上のカフェの入り口から、地下フロアへ誘導する右へ曲線を描いて下降する階段の壁にしつらえられた鏡。それは、夢の中の登場人物としてサンディを、意識下に引き出す為の仕掛けで、見る側にも「同調」を意識させるのに必然の「美術」。それを介して、エロイーズから、サンディへと「主体」が入れ替わる訳ですが、ソーホーの歌姫となる野心を抱いたサンディが、歌姫のスカウトである伊達男のジャックと、売り込みと探りを兼ねてカフェのホールでダンスをする。

そこに、甘い期待を抱かせる高揚感が持ち上がって来て、傍観者のエロイーズも、サンディに憑依するように、エロイーズ自身も「体感」する様を、ジャックを据えた画角に、二人の女性がダンスの相手役として、入れ替わり立ち代わりするシークエンスを、ワンカット風に収めていて。ジャック役の方は、片手にウイスキーのオンザロックが入ったグラスを持ったまま、若い娘の品定めをするかの如く、半分醒めた風にダンスの相手をしているみたいに、抑えた佇まいを保っていて。空いた片手を起点に、サンディとエロイーズ役の女優さんが、彼のダンスのタイミングで交代して踊るのを、ステディカムカメラで追うシーンが続く。

この後の作品展開にとって、重要なシークエンスとして魅惑的な表現であり、見終わって、あらためてメイキングの動画で見直すと、キャスト、スタッフの懸命な取り組みに、手間とコストと、そこに集まる人達の創意が、僅か数分の映像表現に結実している訳で。芸術表現として、映画は、そのワンシーンを取っても、贅沢であるうえに、視覚として「一時」で消費して、ほとんど忘れ去ってしまって、なんて淡く儚いものでありましょう。

ここまで、想定以上の字数を費やしてしまいましたが、気に入っている監督による、一番の場面について書けたので、冗長な感想を、ここで切り上げてしまっても、良いのですが、出来るだけ、手短に締めてみましょう。

60年代のクラブでのダンスホールシークエンスを例としても、劇的に盛り上がり場面を見せるため「引用」されては、いないけれど。出くわした事件で、エロイーズの内に、つのる悦びや動揺が起こった背景には、彼女が聴いていたであろう、当時の既成曲が聴こえる。

そして、作品の始まりで、ドレスの型紙で切り取った新聞紙で出来たドレスを纏って、上京前の実家のエロイーズの部屋で、自身が自作ファッションのモデルとなって、お気に入りのレコードをプレイヤーで掛けて、ランウェイを歩いているかの様に、「想像」に浸っているのだけれど、サンディの居る60年代との「シンクロ」場面といい、エロイーズの「主観」で、作品の多くは語られている。

サンディへの入れ込みの強さ故に、60年代の歓楽街ソーホーでの、遊びを嗜む富裕層の中年男性達に、サンディが危害を加えられると思い込み、彼女の痛みと恐怖を感じ取って、何とか救おうと、切迫感や焦りが増すために、エロイーズは、心身共衰弱して行く。

それは、あくまでも、エロイーズ自身が、サンディが生きた時代と置かれた場所を「体感」から、財力と体力と地位に勝る中年男性から、強い理想を持って、若く、魅力的な肉体を持って、わきまえない若い娘が受けるであろう「暴力」の犠牲となる事に、思い及んでの事だけれど。エロイーズは、その「暴力」がもたらした、本当の事実まで、知り様がなかった故に、意外なところから、エロイーズ自身に、「災難」が、降りかかって来る。

本作の宣伝では、「ホラー」と云う括りになっているけれど。今様の、殺傷場面とか、不条理な状況や、狂人によるおぞましい行為によるものと違うので、その辺の殺伐感を期待していると、肩透かしと見做されるであろう。

それこそ、ヒッチコック監督の「レベッカ」や、「汚名」の様に、登場人物の心理的な揺れを、血とか、多少の刺激は込めてもスタイルを維持しつつ、その落としどころまで、丁寧に綴ったクラッシック作品に傾倒した作りで、世間知らずの、特に、若い女性ゆえに、輝きの裏で見えない危険も踏まえつつ、「現実」を目の当たりにするまでの、スリルとして捉えれば、視覚的にも洒落ていて、仕立ての良い一篇に違いありません。

はじまりの場面と、エピローグの場面が、構図的にも、呼応していて。ただし、ランウェイを歩くのは、流石に、エロイーズ自身ではないのですが。夢の中でシンクロした、サンディのファッションの影響を大きく受けたコスチュームに身を包んでいるモデルが、一瞬だったので、分かり難かったけど、私の記憶では、有色人種のトランスジェンダーだったような。この辺りも、エロイーズが、若い女性を食い散らかす、金持ち白人男性の亡霊に悩まされた、反動と経験からのモデル起用なのかなと、連想した次第ですが、あまり、アテにはしないでください。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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