世に出てから10年以上。本作のキーアイテムの携帯電話器は、今やスマートフォンに変わってしまって。それだけでも、「時代」を感じてしまうけれど。でも、あらためて全話を買い揃えたディスクで見直すと、古さは感じられない。
「自分では、どうにも出来ないこの世界を変えて欲しい」就職活動や家族関係で行き詰まっている女子大生森美咲は、そんな他人任せに聴こえる「願掛け」の為に、サークルの仲間と来ていたアメリカ卒業旅行から勝手に離脱して、歩道の柵越しに「世界の中心」ホワイトハウスに向かって硬貨を投じたのを現地警官に咎められ、窮地を招いていた。そこに現れたのは、片手に拳銃、もう片方に携帯電話を持った全裸の日本人青年の滝沢朗で、機転を利かせて、警官を追いやるのだった。全裸という辱め極まる状況に関らず、困っている者を救い、素っ裸から、日本への帰還を果たす。
「3月のライオン」の原作者羽海野チカさんによる、キャラクター設計もあって爽やかな見た目であるのは勿論、屈託ないうえに器が広く、男女に関わらず物腰やわらかい。困った事をほっとけず、行動力に生命力も旺盛。神山監督が、生涯出会って来た人の「良いところ」を総てつぎ込んだというだけあって、滝沢朗というキャラクターは、これまで見てきたメインキャラの中でも、なかなかの完成度。サスペンスフルでスペクタクルな縦糸と、現実の社会観を背景にした、青年期のドラマらしい、危うさや瑞々しさを横糸に編み込まれたストーリーにあって、タックンこと滝沢朗は、原動力となって物語を牽引する。
彼が手にしていた携帯電話は、そこら辺に転がっているものとは違う。100億円が、チャージされたノブレス携帯と呼ばれる。ある人物に、セレソンとして「選別」された12人だけが持っているのだ。日本を良き国とするために、渡されたセレソンは各々の「アイデア」を、電話口に出るコンシュルジュ「ジュイス」に申請し承認されると、その対価がチャージ金額から決済される。ここまでの話なら、「魔法の携帯」だけど、12人の内の1人はサポーターとして、日本を良き方向に導くという趣旨から離れた申請を繰り返すとか、全く活動しない者、そして誰よりも早く、目的を達成してゲームを上がれなければ、セレソンを「抹殺」するとされる。滝沢朗は、その一人9番目のセレソンなのだが、「申請」によって、記憶を消したのが、咲と出会うホワイトハウス前だった。
そのノブレス携帯には、他の11人のセレソンの「活動履歴」が表示されるのだが、滝沢が、「履歴」を元に他のセレソンを訪ね、彼の見分によって、ノブレス携帯の仕組みを知って、それぞれの100億円の使い方や目指す理想に、セレソンの背景があり、その人がメインとなるエピソード回は、異なる味わいとなっている。お気に入りは、うらぶれた叩き上げの刑事と、外国人モデル事務所の社長の表の顔を持ちながら、性犯罪者の男を狩る殺人者の裏の顔を持つ女性のエピソード。刑事の方は、三文犯罪小説風のやるせなさに染まっていて。羽海野チカさんらしい、フクフクした体型の女社長の顛末は、実写的な展開の中で、「携帯」の魅惑的威力演出を口実に、アニメーションのイマジネーションで魅せる。誰よりも早く、ゲームを上がらなくてはいけないから、互いに「駆け引き」も生まれ、滝沢自体の素性も判らないのと相乗で、全編に渡るサスペンス感を生んでいます。
滝沢朗は、セレソンらと、咲をはじめとするサークル「東のエデン」の仲間との出会いによって、記憶を消さねばならない程の「事件」の全容を知る事になるのだが。その時には、それを上回る危機となる「申請」が、まさに、実行されようとしていたのだった。ここまでが、前述の「縦糸」の概要。
かけ離れ過ぎないテクノロジーを物語の仕掛けとして、危うさと隣り合わせの現代社会を描く傍ら、滝沢朗らの世代の「生きる実感」といった細かい部分も掬い取って活写するところで、見る者の共感を引き寄せる。たとえば、ヒロインの咲のエピソードで云うと、就活活動での、広く人材を募るのはタテマエで酷い仕打ちをする会社の対応だとか世知辛い部分と、ワシントンでの危機を共にすり抜けて、住まいがあると思しき豊洲まで折角案内したのに、自分を発着場に残して滝沢だけで水上バスに乗ってお別れかと思わせて、船のへりから彼女の気持ちを察したかのように滝沢は手を差し出し、手を取る為に咲は駆け寄るのをスローで納めたスイートな部分。大掛かりな絵空事だけでなく、琴線に触れるところも、シッカリある。
ここまで作品説明に字数を掛けたので、充分、魅力は伝わったという前提で。
真の主旨は、作品の趣旨や構造を別として惹き付けられてしまうのが、「映画」への思い入れ、執着、こだわり、モチーフが、展開の中に籠められているのを紹介したくて。
まず、タックンは、記憶をなくす前に、ノブレス携帯を使って豊洲のショッピングモールを、ワケアリで購入していて。その中にあるシネコンに併設されているラウンジルームを自宅として使用し、映画好きからすれば、まさに夢の生活環境。そして部屋の装飾には、ハワード・フォークス監督か、はたまた、デパルマ監督&アル・パチーノからの贈呈なのか、「The World is Yours」の文字が、球体を包む帯のようにあしらわれた地球儀の彫刻オブジェがあって(出典「暗黒街の顔役」or「スカーフェイス」)。
ワシントンから、豊洲に辿り着いたのが夜中で、またもノブレス携帯を使い、咲が好きな、イルカとダイバーが出て来る映画「コールドブルー」(著作権侵害を回避するため「グレートブルー」を改題)のフィルムを取り寄せ、でっかいスクリーンに、咲と彼の愛犬マメシバの為にレイトショー上映している間、映写室で、接触して来たヤサグレ刑事と彼女の身を案じて、タックンは対峙する。そして、クライマックスは、たて籠った豊洲のショッピングセンターに、大勢の全裸の男性ニート2万人の群れが押し寄せるシュチュエーションは、ジョージAロメロ監督のあのジャンル映画の創始的作品、死んでいるのに肉を求めて歩き回るアイツらのが、見事にシュチュエーションに被って。ホラー的怖さは皆無だけど、あり得ない状況に可笑しさが込み上げる。
これらは、設定や、ストーリー展開に「映画」を絡めた例で、他にも、登場人物の情景や動きの中に、映画作品のシーンをオーバーラップしている箇所が幾つかあって、エピソードを追っていく最中、これは、もしかしてって、思い当たる事必至。このオリジナルアニメーションのタイトルの発想元かもしれない「エデンの東」に被さる状況描写も、出てきます。
あと、記憶は消されたけれど、タックンには、見て来た映画の記憶だけは、残っていて。最初の全裸で現れたワシントンの回で、ノブレス携帯で託された「案内」で、辿り着いたアパートのクローゼットに置かれていた拳銃を手にした姿を鏡越しに見て、「タクシードライバー、ロバート・デニーロ。だったら、モヒカンじゃないとイケナイでしょ」とか、映画に絡めた、つぶやきや会話が、チョコチョコと指し込まれて。それがまた、展開には邪魔にならないように気配りしつつ現れくすぐられるし、楽屋落ち的狂騒的な掛け合いなんかではなく、教養と嗜好が喋りに滲んでいるのも、取っ付きやすいポイントでは、ないでしょうか。
書き留めたかったことは、あっさりと纏まりましたね。
馴染み無い人には、アニメーション作品は、どれも皆同じに受け取れるのでしょうけれど、玉石混交の中、見るに耐え得る作品は、幾つもあるので、駄文にて参照頂ければと。検索すれば、取り扱い配信ポータルが幾つか見つかりますし。Amazonプライムに入会されていれば、会費で、全話見られるようです。
付記 劇場版(手短に)
「東のエデン 劇場版I The King of Eden」
テレビシリーズは、オープニング、エンディング込みで視聴して、慣らされて来たので。冒頭にOasisの「フォーリングダウン」が流れないと、調子が出ないというか。仕方がない、使用許可が、貰えないから。
当初の予定より尺が長くなったとはいえ、それでも、11回のテレビシリーズに比べたら、深掘りが出来ず、「映画」のネタも少なくなるのも致し方なし。
セレソンゲームの決着を描くためでもありますが、劇場版は、シリーズを見て来た人へのサービスの意味合いが濃い。
ふたたび、記憶を無くした後、滝沢朗と森美咲は、アメリカで再会する。滝沢朗の行動力と対照的に、弱気から行動が裏目に出る森美咲。前シリーズのお約束や、キャラクターの性格を再認識させる中、滝沢朗の幼少期から通っていた(実在する)アンジェリカ・シネマ・センターの客席で、二人が夜を明かして、前に果たせなかった、レイトショーの約束を達成。(スクリーンに、映画は、掛かってないけれど)
これまた前シリーズにも出たメリーゴーランドに、ニューヨークで二人乗って。このシュチュエーションは、「映画」にはなっていない「ライ麦畑でつかまえて」が、被さっていて。神山監督の想いは、ここに強く滲んでいるのだろうなと。タックンの咲に対しての「ここで、見守っていたいんだ」ってセリフ、まんま、引用だし。
甘く感傷的な展開も、日本国内で急展開するセレソンゲームの動きにかき消されて、パート�兇悗痢岼�き」を残す。
因みに、映画版2作とも、滝沢朗の自宅設定の豊洲のシネコンで、見ましたとさ。
東のエデン 劇場版II Paradise Lost
リアリストとロマンチストなセレソンの攻防にも、遂に幕が。
2万人のニートを「直結」させる、損な役回りを自ら買って出て、最悪の事態を回避し、滝沢独りが悪者になって収拾をつけて来たが、今度は、森美咲らサークル東のエデンのメンバーも、各々の意志で、滝沢朗のサポートを買って出る。彼の「出生」の問題も絡んで、夏の夜を、ホント、急ぎ足で駆けていく。
そして、8月15日、滝沢朗は、ノブレス携帯を使って、全国民の携帯へと語り掛ける。奇しくも、第二次大戦終戦の玉音放送があった日である。
意味深い描写ではあるものの、TVシリーズで、豊洲はじめ、危機とは全く無縁に見える、日本の主要都市を、ミサイルが飛んだのに比べると、インパクトが弱まるのは致し方なし。
その代わり、戦い終えたリアリストなセレソン物部氏に突如降りかかるハードボイルドな落とし前と、誰にでも優しく、ほおって置いたら違う女性と親密になりかねない「無頓着」さを備えた滝沢朗を、森美咲が、自ら進んで「愛情確認」する場面が立て続けに入って、固唾を飲んで見守って来た者を安堵に包む。
エンドロール後に見せるダメ押しが、また、滝沢朗らしく、すっきり、爽やかな幕引き。
↓TVシリーズ映像を使っての劇場版への誘導予告です。(文章補足用)
https://www.youtube.com/watch?v=jFXR1qC3L7s
駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
2021.8月中旬頃 Blu-rayで。
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