mixiユーザー(id:5919811)

2020年05月08日16:29

217 view

NHK ひとモノガタリ「放浪する僧侶」

NHKひとモノガタリ「放浪する僧侶」見てます。
車上生活で僧侶を続けている、静慈彰(42)氏の話。
実家は高野山で千年続く真言宗の塔頭で、父は真言宗のトップまで務めた方というのだが、それ故にか、型破りな生活を自ら選んで している。
高校時代に、親に反発して仏教系の大学には行かず、入った大学では、同級生に好かれようとしてはしゃぐようになり、そうやって飾っている生き方から孤独になっていき、大学二年の時、鬱病を発症して実家に引きこもり…と、まぁ、バカが透けて見えるやつとは、本気で付き合う人間もいませんわな。

そんな時、実家にある仏教の書物で救われることになったのだという
「一切皆空」「一切苦」などという言葉から、「こいつ、俺と同じやんけぇ!」と思ったのだそうだ。
それで、「仏教の中でなら、自分なりの道を見つけられるんじゃないか」と思って、僧侶になることを決意する。
親父さんが実力者だから、僧侶になる道も開けやすかったのだろうけど、なったらなったで、人々に来てもらおうと、お寺にダンサーを呼んだり、ライブをしたりと試行錯誤して反感を買い、3軒の寺をクビニなっになるはみ出しにしかなれず、人間関係と社会のしがらみを断とうと逃げ込んだのが、車上生活だったということで、計画性のある信念があって飛び込んだ生き方でもなかったようだ。

結婚生活もうまくいかず、「俺にとって家族と言うものは煩わしく不自由なものなの」と話す。
友人の妻帯して子供もいる僧侶から、「自ら選んだ不自由はストレスじゃないのよね。いくらしんどくても。苦労が苦労じゃないっていう境地やね」
と言われて、返す言葉がなくなってしまう。
典型的な迷える衆生が僧侶やってて、可笑しくなってしまう。

それでも、「再びつながりの中に戻っていく」という話に感銘を受けたりして、「おっ!」と思わせてくれるかと思えば、「俺は道教の世界なのよ。世捨て人の世界なのよ」と居直る。

「世捨て人で自己満足の、自由の世界に生きているんだけど、仏教ってそうだったっけ と思ってて、いつ俺が道教から仏教のレベルに行くんだろうと思ってて…」と、未徹在を自覚しているらしいしおらしさも見せる。

煮詰まった時訪れていた河内長野の観心寺。
住職に声をかけられた。
「合掌が(顔の前の)高い(位置にある)人は、自分の思いがきつい。静くんの場合、馬力はあるんやけど、走っていく方向が(笑) その辺で、落ち着いて、委ねきって空っぽになるという感覚になったら、合掌が下がるのかなっていう感じ」
優しく諭してくれる。
まぁ、規範がある道を歩いているわけではないので、迷いは常にありますわな。

しかし、ディレクターが本音を聞こうと思ってバーベキューに誘うと、周りを笑わせたいとか、言葉ってそんなもんジャンとか言ってる。
つまり、NHKのスタッフといるときには、スタッフの期待に応えようとして、自分ではない自分を演じているのではないかと、ディレクターは読んだわけだ。

彼は、どう思われたいか、どう見せようかというのとは違うという。
その人にどう見られたら、思われたらその人のためにいいのかと言うようなことだという。
本当の自分とは、人の誠意に精一杯こたえたいという自分だというのだ。
親の期待に副うことや、友人を楽しませることで居場所を見つけようとしてきた人生から生み出された、哲学だろうか。
見透かされて軽蔑されるとしても、仁とか愛とかいう考え方が骨身に染みついているのか。

しかし、人との距離を、あえて取ろうとしている面もあるのではないかと、ディレクターが指摘した。
それに対しては、精一杯応えようとすると、自分が力尽きて倒れちゃうからだという。
だから「見えてません」という距離まで、離れようとするのだという。
こんな考え、自分も、教育大の模擬スクールで先生もどきをやっていた時に考えていたなぁと、懐かしい。

子供たちとの瞑想会。
雑念を払拭するためにというような建前論で始めたが、やっているうちに本質が見えてきたようだ。
「かめへん、弱いところ出てくるのは。弱いところが無いやつとかは、おれへん。今できてなくても かめへん」
弱くて愚かな自分に寄り添ってくれるものは、強い自分なのかもしれない。
イエス様やアッラーだったり、同行二人のお大師さんだったり、観音様かもしれない。
それで心が休まるなら、いいのかもしれない。
豫譲のように、悪評の高かった主人の為に命を投げ出す人も出てくるのだし、それが人間の世界なのだろう。

最後に、こんな話をしている。
「もう こけまくり人生。
絶望の淵にある人に、「そんなこと言わずに立ち上がりなよ」と言うのはきついし。「わかるよ〜」っつって、「でも 大丈夫だよ」って。諸行は、変わってくから。そうじゃないかな。言ってあげられる人。要るよね。必要よね。それはやっぱり、たくさんの痛み知った人でないと。だから(自分は)落伍者の一人かな(笑)」

最後は、なんだか さわやかだった。


この方、以前、高野山を紹介した番組にも出てきた方で、お父さんがインタビューを受けたりしていたのだが、えらくまじめそうなお坊さんであったのに、悩みの種としてもの登場だったと記憶している。

ついでに書くと、89歳で亡くなり、内々でやった実母の葬儀の時、焼場で声をかけてきた僧侶がいた。
本物の僧侶なのだが、ボランティアでやっているお見送りなので、供養させてほしいというのだ。
供養したいというのに、ウチは神道だからと、断るのもどうかと思い、供養していただいたのだが、あの時のお坊さんに似てるなぁと思った。
もしかすると、同一人物だったのかもしれない。
その時は、お礼を言っただけで、謝礼金など、渡さなかったのだけれど「布教のためにやっているんですか?」と聞いたら、「まぁそんなもんです。自分の修行にもなりますから」というような話だった。

9 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年05月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る