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2019年12月25日15:07

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こころの時代「デニ・ムクウェゲ医師」

こころの時代で、コンゴで武装勢力にレイプされた女性たちの治療に当たり、ノーベル平和賞を受賞したデニ・ムクウェゲ医師のインタビューを放送していた。
女性たちは、性欲ではなく、武装勢力が恐怖によって人々を支配するために強姦されたもので、性器に銃を突っ込んで破壊したり、妊婦をレイプして、おなかの子供の内臓を潰したり、より残酷な方法でレイプを繰り返し、恐怖によって逆らえなくなった人々を奴隷労働に使い、金やコルタンなどを発掘させる。
このコルタンはスマートフォンなどに欠かせない金属で、今スマホを使っている人たちの8割は、その犠牲によって利便性を得ているのだという。
スマホを使うなという事ではない。
しかし、それをクリーンなものにするために、力を貸してほしいという事だ。
例えば、スマホメーカーに、使われている鉱物が、どの鉱山で産出されたものか確認してほしいという。
安いスマホを買うという事は、こうした汚い鉱物を仕入れている業者や、女性を犠牲にして利益を得ている連中を助けることになるという。
「私には関係がない」とか「知らなかったんだから仕方がない」ということが、どんな結果をもたらしているか考えてほしいと訴えている。
「沈黙」は共犯なのだという言葉が、重く響く。

コンゴ民主共和国は、カサブブ、モブツ紛争に遡っても、こうした鉱物資源をめぐる殺し合いの絶えない地域で、上手く利用すればみんなが豊かになれるのに、富の独占を狙う輩が力で支配しようと勢力争いを繰り返している。
愚かなことだと思う。

ムクウェゲ医師の父は牧師で、彼も説教をする牧師でもあるようだ。
この地域の紛争は、イスラムがらみではないようだが、社会主義にせよイスラムにせよ、かつてはキリスト教もそうだったが、支配がやりやすくなるツールとして思想・宗教が利用されてきた。
彼は、病気で苦しむ信者の家に行っても祈ることしかできなかった父を見て、治療のできる医者になろうと思ったという。
祈れば救われるようなことを言うだけの聖職者や、我欲を捨てられないくせに「分かち合え」と唱える「善人」とは違うのだ。

レイプで傷ついた女性たちは、狭い村社会や家族からも阻害され、二重に苦しむことになる。
ムクウェゲ医師は、傷の治療より、心のケアの方が、何倍も難しく複雑だという。
しかし、彼女たちが尊厳を回復させる過程で、強くなっていくともいう。
自分や子供の為だけではなく、他者の権利のために戦うようになって行くという。
彼の病院で治療を受けた女性たちは、共同体に戻ると、そこでリーダーになる。
コミュニティに真の変化をもたらす存在になるという。
深く傷ついた人間だから、他者の弱さも痛みもわかるようになるのだろう。

しかし、レイプされた女性の子がレイプされ、孫までがレイプされるに及んで、もう黙ってはいられないと思い、行動を起こした。
国内、そして国外でも、現状を訴え、暴力を辞めさせるように訴えたのだ。
2012年、ムクウェゲ医師は国連で演説をした。
直前に、コンゴの保険大臣が電話してきて、「演説を辞めろ。でないと、あなたの命が危険にさらされる」と言った。
それでも彼は演説した。帰国すると家の前に銃を持った男が二人立っていて、撃たれた。
その時、長年警備員をやってくれていた男性がかばって身を投げ出し、ムクウェゲ医師の命は助かったが、その男性は死亡した。
警察は全く捜査せず、自分は守られないと思ったので、国外に脱出することになる。

その後、国内の女性たちが立ち上がった。
果物や野菜を売ってためたお金で、ムクウェゲ医師の飛行機代を出し、帰国させたのだ。
女性たちの「人を生かす力」に勇気づけられ、ムクウェゲ医師は帰国することにした。
今では、国連の保護下で、病院で暮らしている。

2018年。ムクウェゲ医師はノーベル平和賞を受賞した。
そのスピーチの中で、こう言っている。
「私の国では人々が死に物狂いで平和を求めています。
悲劇から目を背けることは、共犯と同じです。
責任を問われるのは、実行犯だけではありません。
直視しない人も含まれるのです。
行動を起こすことは、無関心に「ノー」という事を意味します。
戦争をするのであれば、それは、社会に巣くう無関心との戦争なのです。」

2010年、コンゴの人権侵害に対する報告書が国連に提出された。
しかし、10年近く経過しても、国際社会は何の手も打ってこなかった。
被害者の名前は記入されているのに、加害者の名前が記入されていない報告書の加害者たちは、今でも同じことを繰り返しているという。

「沈黙こそが、加害者に性暴力を続けさせます」
「誰にも言っちゃダメよ」と言う母親などにも、この言葉は適用されるという。
「性暴力を告発することがタブーではなく、性暴力が犯罪とされる社会になれば、被害者が恥ずかしいと思うこともなくなります。
加害者こそが、罪を恥じるべきです」
「加害者が、「お前たちの存在は何の意味もない。私の好き勝手にできるし、罪にも問われない」と考えても、「彼らは私を破滅させようとしたが、そうはいかない。私には多くの可能性がある」と思えること。
自分を信じることが大切」
「被害を受けた女性たちには、この「自分自身との和解」が必要なのです。
彼女たちが自分自身でそう思えるようにならなければいけません」
「また、憎しみを持ち続けないことも非常に重要です。なぜなら、もし憎しみを持ち続けたなら、それは敵だけではなく、自分自身も破壊してしまうからです。
もし患者が、このような癒しのプロセスを望まず、憎しみの気持ちを持ち続け、ひたすら起きたことについて怒っていれば、女性は自分自身を滅ぼしてしまいます。
それは、泥を顔に塗られた患者が洗うのを拒み、目が開かなくなるのと同じになると思います」


伊藤詩織氏に対するレイプ事件で、小川榮太郎氏、山口敬之氏、杉田水脈氏やはすみとしこ氏が加害者を擁護するような行動をとっていたことでセカンドレイプに当たると批判されているが、それに同調していた金魚の糞たちも含めて、罪悪感を感じていない人間が、傷を深くしているのだと感じる。

広島を訪ねたムクウェゲ医師はこう話す。
「戦争に対する闘いとは、相手を同じ人間として見ないという事に対する闘いです。
相手を人間と思わず、物のように破壊してしまう発想。
他者を人間と思えなくなった瞬間、つまり、自分と同じような人間としての痛みや感情を相手は持っていないと思うようになった瞬間に、やり方はどうであれ、始まるのが戦争だと思います。
激しい暴力を伴うレイプも、他の兵器と一緒です。
他者の気持ちになって考え、感じ取れる力、それが平和という事です」
「今朝 広島で被爆した木を見ました。
その木は根が残っていたため再生して、大きな木になったということです。
その木を見て、私は大切なことを学びました。
この木と同じように、私たちもまた「人間性」という根を守り、残せば、再び芽が出て、大きな木が育っていくのだと。
「希望」はここにあります」

多くの「ムクウェゲ医師」は途上国で人知れず活動しているのかもしれない。
そうした人たちのことを、忘れてはいけないのだろうと思う。
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