ちょっと気になったのだが、以下のような記事がネットアップされていた。
「慶應義塾大学の田中辰雄氏らの実証研究によると」
「ネットユーザが自分と意見の異なるユーザも少なからずフォローする傾向にあることが分かった。具体的には、フォローしている人の3割以上は、自分と反対の主張をしている人で占められているとのことである。実は、このような研究結果は、海外の実証研究でも示されている」
「従来から言われているような、「情報の氾濫するネットでは、情報を選択する過程で『自分の見たい情報』ばかりに触れるようになっている。その結果、集団極性化3が起こり、意見が先鋭化する」という現象は、少なくともこの実証分析では裏付けられなかったことになる。」
「ネット世論を単純に「社会の総意」と考えるのは危険である。なぜならば、例えばテレビ局や新聞社などが行う世論調査とネット世論には、決定的に異なる点があるからだ。
直接訪問や電話などの手段を使った世論調査は、基本的に「聞かれたから答えている」受動的な発信である。例えば、政党支持率の調査であれば、普段はとりたてて政治の話をしない人でも、電話で聞かれたから「あえて」自分の支持政党を答える。」
「こうした調査は受動的であるがゆえに、「声を発するつもりのなかった人」の意見も反映しており、実社会の意見分布に近いといえる(ただし、現在マスメディアなどで行われている世論調査も、サンプルの偏りについて問題点が指摘されており、安易に鵜呑みにはできない)。
その一方で、ネット世論は「発信したい人が発信する」という、極めて能動的な動機に基づいて形成される。そもそも発信したいと思わない人は、たとえ自分の考えを持っていたとしても何も書かない。対して、「誰かに自分の意見を伝えたい」という思いが強い人は、何回も書き込み、声が大きくなる。
それだけではない。中庸な意見の持ち主が書き込みを行ったとしても、それに対して過激な意見や中傷が返ってくることは珍しくない。そうなると、その人は幻滅し委縮して、やがてネット上での発信に消極的になってしまう。実際、ネットでは政治やジェンダーの話題を避けているという人も、読者の中にいるだろう。
一方で、極端な意見の持ち主は、めったなことでは委縮しない。なぜならば、彼らは自己の正しさを強く確信しており、何度でも発信するし、何を言われてもくじけないからである。このようなメカニズムで、ネット上では極端な意見が過剰に出回り、偏った言論空間が形成されていると考えられる。」
ここで、実際に調査したところ、極端な意見の持ち主が、中間的な意見の持ち主の8倍もの書き込みを行っていたというのだ。
結局、
「このような状況で、より建設的な議論をし、情報社会の明るい未来を創り上げていくには。情報の受信者たる我々が、「情報の偏り」を認知し織り込んだ上で、変わる必要がある。
情報の偏りは、何もネットに限らない。マスメディアの言説をはじめ、すべての情報は偏っているといっても過言ではない。その偏りを認知し、常に別の意見に目を向けたり、情報のソースを確認したりすることを欠かさないようにする。そのうえで、いくら強い思いを持っていても、ほかの意見に聞く耳を持たないのではなく、他者を尊重し、フラットに耳を貸す――。
このような、ひとりひとりの地道なリテラシー向上こそが、情報社会の発展に最も寄与するのではないだろうか。」
と結んでいるのだが、気になったのは、この中間層の投票行動などなのだ。
米国では、大統領選挙と中間選挙で、ネットに出した政治広告に関する費用は、共和党は民主党の2倍近く、トランプ氏の関連団体などは4倍近くに登ったらしい。
それも単に、自分の政策を広報するのではなく、例えばピックアップトラックを買った人は、移民問題に反対の傾向があるなどというAIの分析結果を利用し、個人情報を大量に仕入れて、「ツボ」を狙った広告を出したらしい。
こうした手法は、商品の売り込みなどにも使われているが、それを政治でやったのだ。
このせいで、中間層で、それほど政治に関心がなかった連中が、トランプや共和党に投票に行ったんじゃないかという気がする。
結論は、ここに書かれていたように、「情報の受信者たる我々が、「情報の偏り」を認知し織り込んだ上で、」「情報のソースを確認したりすることを欠かさないようにする。そのうえで、いくら強い思いを持っていても、ほかの意見に聞く耳を持たないのではなく、他者を尊重し、フラットに耳を貸す――」ということが必要なのだろうと思う。
※「大規模調査でわかった、ネットに「極論」ばかり出回る本当の理由」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58264?page=6
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