福島に桃を買いに行って、少し足を延ばして米沢に行きました。
そこで数社めぐって、隣町の山形県東置賜郡高畠町にも行きました。
目的地はここ。
犬の宮・猫の宮です。
我々が着いた時は、ペット協会の行事があった後だったそうで、すでに人影はありませんでしたが、幟が立っていたり手作りの灯篭があったり、痕跡がありました。
たまたま帽子を被って散歩している人が居たので、犬の宮・猫の宮の場所をお聞きしました。
ついでに二・三お聞きしたら詳しそうなので、これ幸いといろいろ伺ったら、この宮にはこんないわれがありました。
むかし(和銅年間(708-715)の事だそうです)高安村と言っていたこの地域は、都から役人が来ると、春秋二回、人年貢(人身御供)を出させられてこまっていました。
ある時、道に迷った一人の座頭(盲目の、按摩や遊行芸をして放浪している人)が一夜の宿を借り、この話を聞き、人ではない何者かが災いを引き起こしているに違いないと推測して、村人に手立てを教え、村を去った。
村人たちは、教わった通り役人を酒席に招き、酔わせてから、甲斐の国から連れてきた(一説に山形県西村山郡西川町海味(かいしゅう)のことではないかとも)三毛犬・四毛犬という犬を放つと、大乱闘の末、倒されたのは役人ではなく二匹の大狸と多数の荒狸だった。
この古狸退治をしてくれた二匹の犬は間もなく死んでしまい、座頭の言葉に従って村の守り神として祀ったところ、村では難産をすることなく多くの子が生まれ、栄えたという。
めでたしめでたし ではなく、この話は続きがある。
延暦年間(782-806)のころ。
この村に、信心深い庄屋夫婦がいた。
二人には子がなく、せめて丈夫な猫が欲しいと思って、観音様に祈っていた。
ある夜、夢枕に観音様が現れて、「猫を与えるから大切に育てよ。さすれば、村は安泰、養蚕が盛んになるであろう」とのお告げがあった。
夫婦で同じ夢を見たので不思議に思っていると、夢に出て来たのとそっくりな猫が屋敷に入ってきた。
二人は喜んで飼う事にし、その猫に「玉」という名をつけて大変にかわいがった。
順調に育っていた玉だが、次第に妻の後を付き従って離れなくなり、何者かを狙うように睨み据えるようになった。
主はそれを怪しみ、妻に扮して厠へ入ったが、玉は相変わらず扉の外で異様な声を上げ、入ろうとして来る。
主は隠し持った刃物で 猫の首を一刀両断にすると首は飛び上がって、天井裏に隠れていた蛇の首を噛み切って落ちてきた。
この蛇こそ地蔵の化身であった犬に退治された古狸の怨念が化身したもので、観音の化身であった猫が庄屋夫婦を守ったのだった。
庄屋夫婦は猫の「玉」を祀る観音堂を建て、ねんごろに供養して「猫の宮」と名付けた。
以後村人は犬と共に猫を大切にし、養蚕が盛んになって村は安泰になった。
めでたしめでたし ではない。
この猫の話は別伝がある。
永和年間(1375年頃)、高安に住んでいた子のない夫婦が猫を可愛がっていた。
猫もよくなついていたのだが、ある夜、夫が目を覚ますと、猫が妻に噛みつこうとしていた。
驚いた夫は刀を抜いて猫の首をはねた。
首は宙を舞い、窓の外に潜んでいた大蛇の喉元に噛みついた。
夫はその大蛇の首もはねると、猫の首は消え、胴体だけが残されていた。
その夜、夫の枕元に聖観音菩薩が老僧の姿を借りて現れ、こんな話をした。
大蛇は、かつてこの地の民を苦しめ、三毛犬・四毛犬に退治された大狸の怨霊が乗り移ったもので、今また悪さをしようとしていたので、猫に姿を変えて二人を守っていたのだ。
おどろいた夫婦が持仏堂を開けると、中に祀ってあった観音菩薩像の首元に、まだ乾いていない血がついていた。
夫婦は猫を手厚く葬り、猫の宮と名付けた。
大蛇も葬ったが、祟りを恐れて壇を築き祀った。
と言う事で、その壇が蛇壇だという。
実は、犬の宮のところで話した方は猫の宮を管理している曹洞宗のお坊さんで、別れぎわに帽子をとって挨拶されたが、帽子の下は剃髪された頭だった。
犬の宮は天台宗のお寺が管理しているという。
さて、犬の宮。
狛犬は霊獣でも獅子でもなく、犬です。
猟犬として活躍した高安犬のようです。
ここの鳥居はちょっと変わっている。
石と木を組み合わせたものです。
拝殿には犬の写真や首輪・リードなどが所狭しと置かれています。
どうも、天寿を全うした犬が多いようです。
猫の宮。
屋根にも猫の宮と書いてあります。
こちらはねこ・猫・ネコ。
蛇壇。
ストーンサークルのような場所ですが、蛇を連想させる木や、人がさかさまになったような木がありました。
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