「汲古」26号 平成06年11月「類書の発生」木島史雄読んでます。
魏の文帝が編纂させた「皇覧」を類書の嚆矢とする論文を書かれている方が、補足として類書の発生は必要に応じて役所が作っていた便利帳のようなものがあり、「皇覧」は皇帝が最低限知っておくべきことをピックアップして作ったというのは、その通りだろう。
これを読んで二つの流れを考えた。
一つは「芸文類聚」から「太平御覧」に進む皇帝が知っておくべき事柄、諸書のダイジェストとしての類書であり、類書ではないが「群書治要」などもこうした本に入るのだろう。
もう一つは、役人が辞書や仕様書の参考として使うもので、朝鮮の「巧事撮要(교사촬요)」のように、役人の便利帳として使われるような用途。
そんな中で「秘府略」などはどのように使われたのだろうかと思った。
「太平御覧」と同じ1000巻なので、宋の太宗のように全巻通読することが不可能ではないだろう。
「秘密曼荼羅十住心論」などの六本宗書を作らせた天長年間の製作でもあるし、天皇が読むものとして作ったのかもしれないが、結局読まれなかったのか、或いは読んでいたが、御手元本で、冷泉院の火災で大半が燃えてしまった為に記録に残らなかったのか。
朝鮮の「巧事撮要(교사촬요)」についても、そういう本って、日本にもあったのだろうか?
前から気になっていたのだが、このことで論文書くことは、たぶん、ない。
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