花園神社からの移動中、山間部の田圃が見えたんですが、まだこんな干しかたをしているところがあるんですね。
弟は、乾燥機で乾かすより米が美味くなると言ってました。
ただ、川沿いの棚田など、耕作放棄地も目について、残念な思いでした。
若者が街で就職して年寄りばかりになると、家事消費分くらいしか米も野菜も作らなくなるんでしょうね。
さて、道沿いに神社があったので寄ってみました。
「祖霊神社」というのは珍しい名前だと思ったのですが、境内には碑文や境内社があり、石抱きの木などもあって、陽石かなと思ったら、明治天皇の御巡幸記念碑のようでした。
陽石っぽいのは、境内社の祖霊神社璽を納めた小社にありましたが、陽石かどうかは聞きそびれてしまいました。
神社の隣は公民館だったのですが、参拝を終わって帰ろうとしたら、声をかけられました。
この地区の区長さんです。
明日、福島県知事選挙なので、その準備に来たのだそうでしたが、地元の人がお守りしているこうした神社に、地区の人でもないのにお参りするのは珍しいようで、声をかけていただいたのでした。
これ幸いと、ちょっと質問させていただきました。
先ず、この神社の名前が何で「祖霊神社」なのか。
答は、先祖を祀った神社だから。
何社もまわっていますが、先祖を祀った神社というのは初めてでした。
創建は明治時代だそうです。
しかし、多くの神社も、本来そんな形だったんじゃないかと思ったりしました。
地域を拓いた先人を祀るというのは、あるんじゃないかと思ったのです。
伊勢神宮だって出雲大社だって、それぞれの先祖とされる神様を祭ったものなのですし。
人それぞれですが、大きいからという理由でお参りに行くのは、なんか違うような気もします。
ここに「忠魂碑」ではなく「拓魂碑」があるというのも、祖先に感謝しての事でしょう。
現在、この地区の方はほとんどが神葬祭でお葬式をされているそうで、ウチの方は光圀公が奨励したからだと言ったら、やはりそうした影響があるような反応でした。
境内社は、地区の神様を集めたのだそうで、これも江戸時代にやっていれば義公(光圀)の行った神社整理そのままですね。
仕事をしに来ているのにあんまり手を止めさせても申し訳ないので、お礼を言って先に向かいましたが、嫌な顔もせずに応対してくださった区長さんに感謝です。
ログインしてコメントを確認・投稿する