目黒の雅叙園に行ってました。
11時過ぎに出たので、「とんき」で昼食をとってから…と思ったら、開店は16時でした(-"-)
これ見に行ったんだけど、30年くらい前に友人の結婚式に来て以来だと思うからお上りさんと一緒(^^ゞ
入口はお正月らしい飾り付けでしたね〜。
いい感じ。
エレベーターは、螺鈿を意識したご〜かけんらんの作りで40人以上が一度に乗れる広さ。
結婚式場だったから、花嫁さんが楽に乗れる大きさだったんでしょうね。
見学できるのは木造の旧館部分。
えらく広いトイレが階段に隣接してありました。
一部を除いて撮影禁止だったので、写真撮ってませんが、三畳くらいの部屋に便器が一つ。
真ん中にあったわけではないので、空いているスペースには物を置く台でも置いてあったのかな?
三溪園や喜多院でも大名が使う雪隠を見たけど、あんな感じですね。
あちらと違って水洗でしたけど。
部屋の装飾は「でろり系」だけど、なかなか興味深いものではありました。
パワーストーンとして水晶が飾ってありました。
女房が「こんなにパワーストーンがあるのに倒産したの?」と感想を漏らしてましたが、そうなんです。
平成十四年に倒産しているのです。
その際、所蔵していた美術品などが散逸しているのですが、建物は残って、現在、東京都の文化財になってます。
余談ですが、雅叙園の起こりは東京芝浦にあった料亭。
ここ、昔住んでいたところのすぐ近くで、近所の空き地で三角ベースやったときボールが飛びこんだことがありました。
もう営業してなかったんで、塀を乗り越えて入っても文句は言われなかったんだけど、入ってみたら異質な世界で小学生だった我々は興味津々。
個室についている風呂場なんか、「ここ、女と一緒に入ったのかなぁ。へへへ…」なんて想像して…。
まぁ、そんなこともありましたが、出てきたらみんな埃だらけで、ウチに帰ったら「どこ行ってたの!」と怒られました。
目黒駅からここに向かう道は行人坂。
この名前で江戸三大火の一つである「明和の大火」を連想した人は歴史通ですね。
明和9年2月29日(1772年4月1日)に発生した大火で、放火犯は武州熊谷無宿の真秀という坊主。
火付盗賊改長官である長谷川宣雄の配下によって逮捕され火焙りになるのですが、この長谷川宣雄の子、平蔵宣以が池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」。
そしてこの火事の火元となったのがここ大円寺。
このお寺、火元になったのでなかなか再建させてもらえなかったんですが、薩摩の島津公の菩提寺となることで再建が許されたとのこと。
そして明治になって隣にあった明王院を合祀することになるのですが、この明王院の跡地に建つのが雅叙園。
更に、この明王院に居たのが、八百屋お七が恋い慕った寺小姓の吉三で、後に出家して僧になった西運でした。
彼は、火焙りになったお七の菩提を弔うために浅草観音まで往復十里の道を隔日で毎夜鉦をたたき念仏を唱えながら往復すること一万日の行を二十七年五か月かけて達成したのだそうです。
この西運は、行人坂に石畳を敷いたり目黒川に橋を架けるなどの公共事業もしたとのこと。
けっこう由緒のあるお寺でした。
ここにある石造の五百羅漢や地蔵尊など、石造はなかなかいい趣があります。
古けりゃいいってもんじゃありませんな。
そしてここから六本木へ。
南北線と大江戸線使ったら歩くこと歩くこと。
新美術館へ行ったんですが、かなりくたびれちゃいました。
ここで見たのはこれ。
スーパーリアリズムからわけのわからんオブジェまで、国費で留学した人たちの作品展なんだけど、力量にはけっこう差がありますな。
見終わったらくたびれちゃったので、カミサンと館内でお茶してから帰宅。
う〜ん。けっこう充実してたかも。
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