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2008年01月31日00:18

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続きのお話3 第1章

「碧い瞳の乙女たち」 〜アルデガン外伝3〜


                 ふしじろ もひと


 第1章 影の谷



 大陸の西南端、海を眼下に望む切り立った崖と幅広い河に囲われた所に谷間があった。

 決して狭いわけではなかったが起伏の大きい地形だった。小さな森、河からの支流が溜まった湖、急峻な斜面の岩肌などが世界の縮図のようにひしめいていた。湿潤ではあったが平らな地面は少なく、農地を開くには向かない土地でもあった。

 そのため、この地にはもともと大きな人間の集落はなく、長く修道院があるだけだった。それも30年前の西部地域の戦乱の際に逃げ伸びてきた一族もろとも焼き滅ぼされ、焦げた柱や崩れた壁が緑に呑まれ朽ちかけていた。修道院に篭城した者たちが河に掛かる橋を落としたため、寄せ手の船が引き上げた後ここは陸の孤島と化していた。
 河の東の平原では戦乱の際に焼き滅ぼされた村の跡に人々が住み始めていたが、彼らは凄惨な虐殺の記憶から廃墟のある谷間も多くの死者を呑み込んだ河も近づけば怨霊に呪われるという恐れゆえに忌避していた。落とされた橋を掛け直す人手以前に気運さえない状況だった。午後になると西に切り立つ岩壁が早々と影を落とすこの谷間を、人々は影の谷と呼んでいた。

 大陸西部を覆う広大な最果ての森を迂回しつつ夜の闇に紛れて南下してきた魔物たちが棲みついたのは、そんな場所だった。



 そそり立つ岩壁の頂から谷間に落ちた影が大地から湧き上がる夜の闇に溶け込んだとき、岩壁の麓に口を開けた洞穴の奥で目を開いた者がいた。
 小柄で華奢な少女だった。彼女が低い平らな冷たい岩の上に身を起こすと、その背にまっすぐな髪が流れ落ちた。闇の中、瞳が赤い光を放った。
 この谷に棲みついて以来、感覚の網が人間の存在を捉えたのはこれが初めてだった。

 洞穴から出た少女を冴えた月の光が照らした。背に流れた髪が淡く仄かな金色の光を返した。
 だが、月光の下あらわになったその顔には翳りが落ちていた。渇きに燃える眼光と苦悩の表情がせめぎあい、煩悶の相をなしていた。しばし彼女は葛藤に身を震わせたが、ついに動き出した。それでもしばらくは抗いつつ引きずられるように歩いていたが、とうとう狩り立てられるように駆け出した。

 森を抜ける間、兎を捉えた亜人を見かけた。湖では巨人が魚を大きな手で掬い上げていた。風のように、影のように走る少女の心が軋んだ。

 人間しか糧にできないのは、私だけ……。

 しかし渇きにより研ぎ澄まされた少女の感覚は、河のむこうの平原にいる一人の人間を眠りの中で捉えてしまった。眠り続けることでかろうじて抑えていた激しい渇きに、もはや目覚めた身で抗うすべなどなかった。喘ぐ口元に細い牙が覗いた。

 そして少女はいまや自分自身に恐怖していた。自分が吸血鬼の牙を受け転化をとげてやっと6年でしかない。にもかかわらず、眠りつつも働き続けていた感覚は予想さえしなかった遠くの人間を捉えてしまった。転化したばかりの自分には決してこれほどの力はなかったはずだった。
 思えば自分たちが1年近くかけて迂回してきた最果ての森には上古から生き延びてきた乙女が棲んでいた。乙女の力は魔の森と分かち難く結び付いているとはいえ、あの広大な森に近づく者はことごとく乙女の知るところとなるのだ。

 私は、この身は、どこまで恐ろしいものへ変わっていくの?
 真紅の目からこぼれた涙が赤い光を映しつつ背後に散った。


 河岸にたどりつくと一頭の魔獣の姿があった。獅子の体に皮の翼を持ち、尾には太い毒の刺が生えていた。
 しかし、その頭部は不気味なまでに人間に似ていた。開いた口から覗いたのは2列の牙だったが、ぎこちなく発せられたのはまぎれもなく人の言葉だった。
「背ニ乗レ、リア」

「来なくていいわ、ガルム。この河なら私も落ちた橋の柱の上を跳び渡れるから」

 リアは相手に請われて付けた名で応えた。ガルムは魔物たちの中で最も彼女の身近に寄り添い続けてきた者だった。魔の森からこの地に到る旅の間に言葉を覚え、話すようになっていた。人間に似た頭部の構造がそれを可能としたのだろうが、それは人間ともはや対話を交わす機会が望めないリアにとって哀しくも確かに心慰める体験となったものだった。

「ソノ狩ハ我ラノ地ヲ守護スル」

 ガルムは唸ると流れの上に頭を出した柱を跳び伝うリアに翼を広げて追いすがり、真横を飛翔しつつ呼びかけた。

「心軋マセテマデ一人デ負ウナ」

 だがリアはガルムに応えず、ただ思いつめた顔で行く手だけを見つめながら定かならぬ足場を渡り続けた。


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