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2023年07月23日21:15

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大河ドラマ どうする家康 第29回「本能寺の変」


・天正10年(1582年)6月2日、本能寺は焼ける。茶屋四郎次郎が家康やりおったと叫ぶ。家康は山中を逃げる。これは実際には明智光秀が織田信長を討ち取ったが、茶屋四郎次郎が状況を勘違いしただけであった。

・3日前にさかのぼり、5月29日、明智光秀は、織田信長、織田信忠が京にわずかな手勢で入ったことを聞くとともに。徳川家康もいるという情報を得る。そして、信長、信忠、家康を討つことをたくらむ。

・6月1日、一方、徳川家康は、信長を討つ準備を整えるために堺へ行く。そして津田宗久たちに会い、人脈づくりをする。そんな中、堺に遊びにきたお市とばったり再開。お市は信長は家康のことを唯一の友達と思っていることを話す。

・6月2日、徳川家康はお市の言葉の影響もあり、信長を討つことを決断できないことを家臣に話す。家臣は今はその時ではない、いずれ天下を取るチャンスがくると家康を励ます。そんな中、茶屋四郎次郎が織田信長が本能寺にて明智光秀に討ち取られた知らせを聞く。一方、備中高松で毛利攻めをしていた羽柴秀吉も信長が討ち取られたことを聞く。最初は家康が討ち取ったと決めつけるが、実は光秀であったことを知る。そして、秀吉は急ぎ、毛利と和議を結び、信長の仇を討つために京へ引き返す準備を始める。

・本能寺では織田信長が敵に襲われる。信長は自分を討ち取ろうとした兵が家康に見えた。そして本能寺を襲ってきた軍勢は徳川と思い、本能寺の外にでたところ、襲ってきたのは徳川家康ではなく、明智光秀であった。信長は光秀をみて、きんかんあたまにわしのかわりができるのか怒りながら再び本能寺の炎の中に入り、家康を思いながらこの世を去る。

・徳川家康は必至で三河に逃げるが、明智光秀は落ち武者狩りになんとしても家康を討ち取るよう指示を出す。そして、家康は途中、落ち武者狩りに捕まり、必死に応戦し、なんとかしのぎ生き延びる。

(感想)
・最初のシーンは実際に明智光秀が織田信長が討ったが、まわりの者たちは徳川家康が信長を討ち取ったと誤解したシーンだと理解しました。

・やはり、家康は信長を討ち取る準備をするために堺に行くことになりました。そんな中、お市と会うシーンは徳川家康に織田信長を討ち取るのを思いとどまされるためのキーポイントになりました。

・信長が家康のことを唯一の友だと言うことを知って、家康は信長を討つことを思いとどまったおでしょうね。

・結局、史実通り、明智光秀が織田信長を本能寺で撃ち取る展開になりました。この時、光秀が家康をも討ち取ろうとしていたことはあり得ますね。
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